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日本人女性による世界進出


 ハワイに住んでいますと、日本人の方をよく見かけます。旅行者の方を除き、ハワイでは約2万人の日本人が在住しているといわれています。そしてつくづく思うのですが、それは男性ではなく、女性のほうが多いように感じます。

多いパターンは、外国人男性の夫(恋人)と日本人女性です。ハワイにいる私の知人、友人でも、そのほとんどがこのパターンで、私達のような日本人の夫と外国人の妻のパターンは明らかと言っていいほど少ないです。彼らの多くにその出会いを聞いてみますと、外国人の夫が日本に働きに来ていた時に知り合った、または日本人女性がハワイなど外国に留学中に現地で知り合ったというケースがほとんどです。

 世界の大都市を中心に、今では多くの日本人の人々が移住し、滞在されています。その数は毎年増えているようですが、さらに細かく見ますと女性の比率がかなりの部分を占めているような気がします。それは外務省や大使館などに問い合わせたわけではありませんが、ハワイに住んでいるとそんな気がしてなりません。
 そういえば、学生を中心に留学をする方も多いですが、その大部分は女性であるようです。これは性格の違いなのでしょうか、またはより国際志向といいますか、外国語を使いその異文化や習慣に触れたい、また日本よりも先を行く技術の習得等に関してにより積極的な気がします。女性の方がそういう国際感覚を習得することにより魅力を感じやすいのかもしれません。大学の英文学科も女性が通常大半を占めますね。今では女友達で気軽に海外旅行をする若い女性や主婦を、ハワイでもよく見かけます。
 そういうふうにして、日本人が世界に広がっていく背景には、日本人女性が大きく作用しているようです。これはよくよく調査し裏付けをとれば、本でも書けそうな気がします。現段階では生活をしていてそう感じるままに言っているだけであり説得力に欠けますが、日本人と外国人によるハーフの子供増加に貢献しているのは日本女性の役割がかなり大きいのではないか、と思うのでした。皆さんはどう思われますか?

夜のワイキキ


 今回は、ハワイの最もにぎやかな場所、ワイキキについて、特に夜について書いてみようと思います。
 昼間は日本人観光客の方など、どちらかというと静かで穏やかな人々が多いワイキキも、夜になると日本人の外出はめっぽう減り、その他外人、特に白人が目立ってきます。しかも若者の割合が多く、場合により彼らは固まって騒ぎ、奇声をあげて歩き回ることもあります。火曜は、一部のバーなどでアルコールの割引があるためか、火曜の夜、9時10時以降になってきますとそうした若者が酔った勢いで騒ぎ出します。また、ちょうど今日の話ですが、あるフットボールチームが勝ったという理由で、若者が奇声をあげて歩いています。中には車に乗り、窓をあけ奇声を上げ、車のクラクションを鳴らし続けながら騒ぐ輩もいます。同じ声、同じクラクションの音からすると、彼らは同じ道をただうろうろと徘徊しているようです。
ワイキキに住む者からしますと、彼らの存在は邪魔なものでしかなく、不快そのものでしかありません。あまりバカ騒ぎが過ぎますと、「じゃかましいわ、ボケ!」と石でも投げてやろうかという気になってきますが、その時同じマンションの住人が「shut up!!Idiot!!」と彼らに向かって言っているのが聞こえました。静かにしろ!バカたれ!という意味ですね。
 こういうようにして、騒音はワイキキに住む者にしますと大きな問題です。以前紹介しましたように、救急車やパトカーのサイレンを聞く回数は非常に多く、24時間ひっきりなしです。また朝4時半ころから深夜1時近くまでバスが走り、これら騒音だけでも立派に不快です。
ワイキキに宿泊される方は、なるべく高い階の部屋に泊まられたり、耳栓を用意する場合も出て来るかと思います。
いい風が窓から吹いてくるので、つい窓を開けているのですが、風と共にこうした騒音まで入ってくる状態です。何事も慣れなんでしょうかね。

ハワイを離れてゆくハワイの人々


 ハワイの新聞を読んでいますと、「ハワイの住民の多くがハワイに住みたくない、住みにくい」と考えており、ハワイの将来が期待できないと見据えるハワイ住民がとても多いとありました。ハワイにただバカンスとして来られる日本人の方には、このような知られない一面があるのには驚かされますね。
 

 特にハワイの若者ではその傾向が顕著でして、社会人になる前、または高校卒業と同時にすぐハワイを離れ、アメリカ本土に移住し、本土の都市部で安定した生活基盤を築きたいと考えています。またアメリカ本土から、定年退職者が温暖なハワイで老後を過ごそうと移住されますが、やはりそこでも問題があり、「ハワイの住宅費、交通費、光熱費、そして税金と全てがアメリカ本土より高いため生活が苦しい」と叫ばれます。さらに言うと、ハワイには製造業がないため、それに係る大企業進出がありません。そのためいつまで経っても観光業しか主だった産業がなく、サイパンやタヒチ等他の人気観光地に押され観光収入は安定せず、農業といえば壊滅状態。そのうえハワイでの賃金は税金などの支出に比べるととても安い、と否定的要素が高いのですね。
 

 これら状況は、確かにハワイに住んでいますと感じることができます。主産業である観光業が、もし何らかの原因(津波や地震等の天災、大事件発生)等でイメージダウンでもすれば、観光収入に直撃します。不安定な面は否めません。
そしてハワイの優秀な若者はよりよい新天地を求めアメリカ本土に流れていく。


 ハワイの自然、気候は素晴らしいのですが、実際長期にわたり住むとなると問題がたくさん出てくるわけですね。こうした事はハワイに限らず、どの国、地域でも住むための何らかの問題があると思いますが、美しいハワイが今後衰退していくのではないかと危惧するのは悲しいことです。


 そのために、今ハワイ住民、政府、主要業界首脳などにより、今後のよりよいハワイのために何ができるか、会議を開き、関連法案を作成するなど動きが活発化してきています。私もハワイ住民として、よりよいハワイのためできることがあればぜひ協力したいと考えています。


 ハワイに移住をお考えの方は、実際住むにあたって、税金や医療制度等も含め、収入と支出の具体的な計画を検討されることが非常に重要となると思いますので、専門家に事前にお聞きされたりなどしてよくお調べになることをお勧めします。

ハワイのハロウィン


 先日のハロウィンはどう過ごされましたか?思い思いに仮装されたり、キャンディーなどお菓子をもらいに、お子さんを近所へ訪問させた方、または日本ではあまり馴染みのない習慣のため、特に何もしなかった方もおられるでしょう。



 こちらハワイのオアフ島では、ワイキキを中心にたくさんの人で盛り上がりました。アメリカではハロウィンは立派なイベントの一つとして確立しておりまして、老若男女問わず多くの人々がハロウィンの日を楽しみます。実際何をするかといいますと、まずは仮装をします。昔と違い現在ではあらゆる仮装を楽しみ、まるでハロウィン=仮装パーティーという風に捉えられるようになってきています。日本で言うとコスプレを楽しむ日という感じです。ワイキキを訪れる世界中からの観光客による、様々な国や地域からの個性的な仮装行列を楽しむことができました。


 全身ピエロの格好の人、スパイダーマンのコスチュームの人、バットマン、ドラキュラ、野球のユニフォームを着たり、女装をした男性、露出度の高いミニスカートを着た女性、巨大なアフロヘアをかぶったり、小さい子供は背中から小さな羽根がついた妖精の服を着たり。それぞれの個性や想像力を楽しみながら披露しあうような雰囲気がありました。個人的に面白いと思ったのは、特に何も仮装をせず、眉毛だけ白のペンキで太く塗った初老の男性が印象的でした。


 ワイキキの目抜き通り、カラカウア大通りでは、車の通行禁止は出なかったものの、打ち上げ花火が派手に夜空で光る中、歩道はまるで仮装行列の如く、多くの人が練り歩き、仮装をしなかった人は縁側に座り、彼らを見て楽しみました。一か所にとどまっていれば、仮装したたくさんの人が目の前を歩いていきます。それは日が暮れ始めた6時、7時ころにはすでにたくさんの人で賑わい、夜10時頃でもまだ多くの人で賑わっていました。


 多くの人が様々な仮装をして楽しみましたが、その後何をするかといえば決まった習慣はなく、仮装したままバーに行ったり、ご飯を食べに行く程度でしょうか。ハロウィンに行うトリック・オア・トリートは小さい子供が近所の家に行きキャンディやお菓子をもらうもので、大人はしませんね。ですからやはり大人にとってハロウィンは仮装パーティの日となっています。


 妻が言うには、子供が行うトリック・オア・トリートは、近所同士のコミュニケーションをより円滑にする意味でもよい習慣だといいます。小さい子供が訪れ、よく来たね、とお菓子をあげる。そしてその互いの家庭が互いをよりよく知るきっかけにつながるというわけです。妻の知り合いで、以前自分の子供を高級住宅地へ車で連れて行き、各家庭へ行かせ高級なお菓子を大量にもらったという友人がいました。子供を利用したようで、あまり良いとは言えませんが、ハロウィンはお互いをよりよく知る、いいきっかけとしての役割もあるんですね。

ハワイ総旅行客のうち日本人客の割合は?


 ハワイには毎年相当数の観光客が訪れます。特に私が住んでいますワイキキ(ホノルル市)は、ハワイの代名詞というくらい、世界中の多くの観光客で賑わう世界的な都市です。そこで皆さんに質問ですが、ハワイに訪れる日本人観光客の割合は、世界全体の観光客から見てどれくらいだと思いますか?下記の選択肢から一番近いものはどれだと思いますか?

 ヒントは、・楽園ハワイといえアメリカの州の1つである。・英語とハワイ語がハワイの公用語である。・陸の孤島であり、人口の多いアジア、アメリカ本土、ヨーロッパ等からやや遠い。・ワイキキはほぼ日本語が通じる、世界でもまれな都市である。ヒントどころか余計に混乱するかもしれませんが、下記のうち日本人観光客はハワイ全体の一体どれくらいでしょうか?


1.約20%

2.約30%

3.約40%

4.50%以上


 海外旅行される日本人にとっては、最近韓国やタイ、シンガポールやベトナムなど、比較的近距離の海外旅行をされる方も増えているようですが、やはり日本人にとって海外旅行といえばハワイ!と思われる方もたくさんおられます。「ハワイ・マジック」と私は自分で言葉を作っていますが、一度ハワイに来られた方のほとんどが感じられるように、ハワイの持つ優しい不思議なマジック(魅力)が、心も体も癒され、また来たい!または私のようにハワイに永住しまうような魅力をハワイは持っています。きっとハワイはいつまでも世界中の人々を魅了する楽園でいるでしょうね。


 さて前述の答えですが、答えは1番の約20%です。「ハワイに訪れる日本人観光客はハワイ州、そしてアメリカにとって非常に重要なお客様である」、とアメリカ政府も言っていますが、全体で見れば2割程度と言われています(2007年度現在)。では大半はどこの観光客かといいますと、やはりアメリカ本土からのお客です。アメリカ人にとってハワイは、日本で言う沖縄のような位置づけでありまして、たとえ着くまで飛行機で数時間乗っても、記念日や結婚式などはもちろん、豊かな美しい自然に囲まれてのんびりしたいと思うアメリカ人には根強い人気があります。


 日本人の割合はもっとあるような気がしないでもありませんが、日本人の傾向としまして、日本人観光客のほぼ全員、約99%もの人がワイキキ周辺に滞在すると言われています。つまり、ワイキキエリアだけを見ればほぼ間違いなく日本人客の割合は20%よりもさらに高まります。ですからワイキキエリア近辺で滞在される方にとっては、日本人をよく見かけるな、と思われたとしても、いったんワイキキを出れば、日本人観光客に出会う確率は格段に下がります。


 ワイキキを歩いていますと、あるトロリーバス(窓がないオープンカーのバス)では全員日本人の貸し切り状態の場合もあります。また場合によりワイキキのコンビニでは客の全員が日本人という時もあります。しかし一歩ワイキキを出れば日本人に出会う機会は劇的に減り、オアフ島の北東部や、カウアイ島西部、ラナイ島、マウイ島東部等に行けばほぼ出会いません。ハワイのあるべき姿を存分に楽しむことができます。


 皆様の旅の目的に応じて、ハワイでの滞在場所を選ばれるのも効果的かもしれません。ハワイ旅行が初めての方はワイキキ周辺を中心に、またハワイ・マジックにかかられた方等はそれらハワイの原風景を楽しめる場所を訪れるなど、いろいろな滞在法が可能なのも魅力と言えますね。ハワイに住んでいる者として、ぜひハワイの限りない魅力を味わって頂きたいと思います。

ハワイの人々がよく利用するスーパーとは?


 皆さんは普段食料を購入する場所を特定していますか?近くのスーパーマーケットやデパートの地下、生協等の配達など考えられますね。今回はハワイで住む日本人の私が、ハワイでどんな食事を、どこで購入しているか、書いてみようと思います。

 私が住んでいますワイキキは、世界有数の観光都市という性格からか、そのほとんどが観光客のため大きな食料品店はあまりありません。家から歩いてすぐのところに、フードパントリーというスーパーマーケットがありますが、やや高いのでよほど急にあるものが必要になったとき以外は利用しません。私達がよく利用するのは、主に3店あります。

 1つ目は、サムズ・クラブ(Sam's Club)という大型スーパーマーケットです。日本ではコストスやカルフールといった大型スーパーがありますが、それらとやや似ていまして、サムズクラブはまず会員制であること、そして1つ1つの商品が巨大であることが特徴です。会員制ですので、初めて買い物をするには$40の会員入会料を払わなければなりません。会社法人として登録する場合は$35で済みます。買い物もしていないのにお金を払わねばいけない、というのは多少抵抗はありましたが、いったん買い物をすれば非常にその良さが分かってきます。

 大量に仕入れ大量に売るのは多くのスーパーでも行いますが、サムズクラブが行うのは、さらに1商品当たりの量も大量に売ります。ですから、写真のようにコーヒー用の砂糖も、日本でしたらせいぜい100パック入り程度のところ、ここでは2000パック入っていたりします。初めてこの店を利用したときはその1個当たりの販売量の大きさにびっくりしました。他にたとえば、トイレットペーパー72ロールで1商品、1斗缶に入った醤油や、36本入りのコーラなど、その規模はとても巨大です。ですから、大量に買う代わりに、1本当たりの単価が非常に安く買えます。ペットボトルで言えば、500ミリリットル1本の単価は18セント程度だったり、350ミリのジュースですと25セント程度になります。

 1個当たりの単価を限りなく安く買えるというメリットはありますが、デメリットもあります。お分かりのように、1商品を買うだけで非常にかさばるため、冷蔵庫や家に置くスペースがすぐいっぱいになってしまいかねない点、また、大量に買うため同じ物、たとえば同じ味のコーラなどを飲み続けなければならない難点もあります。大家族の家庭や、大好きな商品を買うとき、巨大な冷蔵冷凍庫がある家庭などに向いていますね。

 また私達がよく利用するハワイのスーパーは、ドンキホーテです。日本でもかなりの人が利用するようですね。食料品以外にも、服や電化製品等、何でも置いてあります。しかも日本系列店というだけあって、日本食の品揃えはおそらくハワイ一かもしれません。普段日本で食べる食料のほとんどすべてがここドンキホーテで購入できます。会員もありません。ハワイ在住の日本人をここでよく見かけることができます。やはり日本人として日本の味に慣れ親しんだ者にとって、美味しいものはやはり日本食になってしまいます。

 例えばここでは、すし太郎や、青じそドレッシング、から揚げ、のりたま、ゴールデンカレー、おーいお茶、一番搾り、コロッケ、などなど、日本でよく目にする日本食がここで手軽に購入できます。ですから私にとってハワイのドンキホーテは日本食を買う店という位置づけです。やはり日本からの輸入ですから、やや割高ですが日本食を安く手軽に大量に購入するには、ドンキホーテが今のところ最適です。また観光客にも便利なお土産が豊富にあり、ユニークなハワイのお土産を求めている方にも向いていると思います。

 最後は、ウォルマートです。ウォルマートはKマートやターゲットのように、アメリカのスーパーマーケット業界では最大手の1つでして、店内に入りますとその店の広さにびっくりしてしまいます。いつも人がたくさん訪れており、衣食住何でもここでそろう巨大スーパーです。ですが食料品エリアは概して小さく、店内の1~2割程度。日本食もありますが、品数はドンキホーテよりは豊富ではないと思います。しかし日用品の品数の多さや、その品質は高く、我が家でもいくつかの日用品はウォルマートで購入したものです。会員制でなく、またハワイで定番のお土産であるマカダミアナッツなどを中心に、観光客用のお土産も大変豊富かつ安く購入でき、多くのお土産を安く買いたい方などには最適かもしれません。

 ワイキキエリアから少し離れますが、上記3店はすべてあの有名なアラモアナ・ショッピングセンターのすぐ裏手、山側に位置していますから、ハワイ滞在をやや長めにお考えの方や、安く豊富なハワイのお土産を買いたい方などには訪れる価値は十分にあると思います。より充実したハワイ滞在ができるといいですね。

ハワイの平和の象徴


 平和の象徴と言われる鳩。今日は日本のとは少し違うハワイの「鳩」について書いてみます。


 通常鳩の色は紺色と灰色の混ざった、暗めの色の鳩をイメージしますが、こちらハワイでは、白色の鳩をたくさん見ることができます。日本では、なかなか白い鳩を見ることはありませんでしたので、ハワイでこうも簡単に見ることができると、何となく平和の象徴に囲まれているような気になるときがあります。ハワイでは、海岸沿いや木々など、いたるところで白いハトを見つけることができます。

 しかし外人にしてみると、ハトに対する考え方はやや違っておりまして、ハトを毛嫌いする人がかなりいます。邪魔者扱いしている人を多く見受けられます。いったん何かやると、何羽も瞬時に寄って来るのをよく知っているのか、私が白い鳩は珍しいと、何か食べ物をやろうとすると、「やめて!いっぱい寄って来るから」、と止められたことがありました。

 また、アメリカ人の妻も鳩が大嫌いです。公園でのんびりしている時など、鳩が一羽でも近づいてきたなら「シッシッ!!」と払います。

 鳩は平和の象徴ではないのか?と私が聞くと、鳩は鳩でも2種類いるようで、写真のような鳩(dove)は平和の象徴だが、普通の鳩 (pigeon)はただの鳥だ、と言います。私には違いがよく分からずにいますが、どうやら白は白でも純白の白色で、やや小さめの鳩がdoveで平和の象徴とされる鳥で、白色の鳩でもそうでないもの、また、白以外は普通の鳩と考えられているようです。

 次ハワイに来られた時、おそらく鳩はたくさん見かけられるでしょうが、doveのほうの鳩を見つけたら、本物だ、と思って下さい。

ジョギングする人がやたら多い?ハワイ


 ハワイのワイキキに住んでいますと、多くのジョギングする人を目にします。ハワイと言えばワイキキというくらい、日本人のみならず世界中から5億、6億ともいわれる観光客が毎年ここワイキキを訪れます。


 ですから今までにハワイにご旅行された方も、もしかしたらジョギングする人を多く見かけたかもしれませんね。その温暖な気候により、確かに運動するには快適です。しかも外国人はジョギングが大好きです。早朝、夕方には、海岸沿い等に簡単に彼らを見かけることができます。


 気づいたのですが、彼らの多くはハワイ在住の方ではないようです。彼らの多くは、ホテルやコンドミニアムから出てきます。つまり旅行客なんですね。


 しかもハワイに訪れる約70~80%はアメリカ本土の観光客と言われますので、ワイキキでジョギングする人の多くは現地人でなくアメリカ本土からの観光客のようです。ちなみに観光客ではないのですが、妻シャノンもアメリカ人らしく、ジョギングが大好きです。大阪に住んでいた時もよく淀川沿いを走っていました。ハワイでも彼女はジョギングの服に着替え、i podと時計を持って夕方には走りに出かけます。私は仕事が忙しいから等言い訳して付き合いませんが。


 しかし街を歩いていますと、やはり私も何か運動せねばいけないな」と、いう気になってきます。というのは、通りを歩く男性の多くは白人や黒人の背の高い、筋肉むきむきのがっしりした体格の人が多く、しかもハワイですから彼らの多くは水着のみの上半身裸で(また時に裸足で)、闊歩しています。私も決して運動不足というほどではありませんが、水着で浜辺等に出かけますと、私の体に何か物足りなさを感じます。同じように、ハワイで見かけるアジア人の人々はやはり背が小さく、何となくヒョロっとして見えてしまいます。そこで「背はもう伸びないだろうが、筋肉くらいはさらにつけてもいいか」と、必要に駆られたわけではないのですが、私も運動を始めることにしました。


 P90Xという、自宅で出来るエクササイズDVDを購入しました。ハワイの良い環境の中と言え、どうもただ走るだけというのは私に合わず、TVを見ながら、1日1時間程度、TVの中の彼らがやることを真似していろいろやってみることにしました。妻は喜んで参加します。


 そうすると、自分でも明らかに分かるほど体格が変わってきました。特にお腹にぱっくりと大きな筋肉の線が見え、より逆三角形の体格になってきました。これには本当にびっくりしています。


 なにかハワイに関する話から遠ざかって行ってしまっていますが、そのDVDのいいところは、全身の様々な筋肉を刺激する適度なエクササイズをしているのが有効かもしれません。毎回ヒーヒー言ってやっていますが、30秒程度の短い様々な運動を何十もやる(やらされる)のは効果的のようです。走るだけですとどうしても同じ筋肉ばかりを動かしてしまうため、シェイプアップにはあまり有効ではないかもしれません。出来ればP90Xの全ての運動を覚え、人の少ない早朝に浜辺でやってみたいものです。今日でP90Xというエクササイズを始めて30日程度ですが、終了の90日後にはどうなっているか、今から楽しみです。

日本人の私がハワイ移住を決めた理由



 もし可能なら、あなたはハワイに住んでみたいですか?



おそらく、世界の他の都市よりは、出来ることならハワイに住みたいと思われる方は多いかもしれませんね。では1つ突っ込んで、ハワイに住みたい方は、なぜそう思われるのでしょう?美しい自然がある、年中温暖だから、ストレスなくのんびり過ごしたい、など一般的に考えられますが、どうでしょうか?



 私がハワイに移住を決めた理由は、少し違いました。



大阪に住んでいました頃、妻であるアメリカ人のシャノンと結婚をしました。彼女は大阪にあります英語の幼保園で教師をしていたんですね。そして日本で結婚をした後、よくよく考えました。「将来生まれるであろう子供にとって、最適な場所はどこだろうか?」と。



 最初は私一人でよく考えたものでした。子供に、アメリカ人とのハーフということで差別されてほしくないとか、日本とアメリカの文化、習慣、言語等の両方を理解できる人間に育ってほしい、人種の違う私達夫婦(子供含め)両方にとって最適な環境で暮らしたい、などなど。そうすると、日本で暮らすより世界の他の都市に移住するほうが私達にとっては良いのではないかと思い始めました。日本は島国文化だからでしょうか、未だに英語を話せる環境があるとはとてもいえず、またアメリカ文化・習慣・価値観等を難なく享受できるとも思えませんでした。



 すると必然的に、私達にとって住むべき場所が絞られてきました。つまり英語が公用語である都市、かつ日本人が比較的多い場所です。



それは、アメリカのカルフォルニア、ニューヨーク、オレゴン、シアトル、カナダのバンクーバー、オタワ、オーストラリアのシドニー、ニュージーランドのオークランド、イギリスのロンドン、グアム等、そしてハワイ。すぐにハワイに住もうというわけではありませんで、それら候補の中から、さらに次の点に焦点を当てて絞り込みました。



 ・人種差別のより緩やかな都市


 ・医療水準の高い都市


 ・日本からもアメリカからもより近い都市


 ・日本語がより通じやすい都市


 ・日本の文化・習慣が古くから根づいている都市


 ・日本より物価の安い都市


 ・犯罪率のより低い都市


 ・快適な気候の都市、など。


 こうした候補の中で一番合致したのがハワイのオアフ島でした。最初はこれらを私一人で考え、結婚したての妻にはまだ何も話していませんで、ある時決意したように「実はこうこういう訳でハワイに移住したいのだけど」と言いますと、妻はあっさり「OK」の一言。どうやら将来について同じような考えを彼女も抱いていたようで、あんなに一人でまず考えることもなかったな、というくらいの拍子ぬけするような承諾でした。



 ちなみにハワイの物価は東京並みか、それ以上でして、物価の高さは否めませんが、その他の条件はほぼ合致していました。ハワイに関する本やウェブサイトを読みあさり、ハワイ旅行経験者に話をお聞きし、2人でハワイを訪れ、入念に下見しました。総合的・将来的に判断し、妻もハワイが私達にとってベストだろうということで、移住を決意したのでした。



 人により、いつか住んでみたい都市というのはいくつかあるかもしれません。私達がハワイを選んだのは、「多くの人が住んでみたいと思うから私達も!」というわけではありませんでした。同じように、多くの人がOOに住んでみたいとか人気があるからと、不用意に自分も住んでみたい、と思い描くのは少々危険です。

 つまり、他人の考えよりもまずどれだけ自分、家族に合うか、考えてみるほうがいいかと思います。外国に住みたいと思われる方は、それだけで様々な困難が直面するものです。言葉、習慣、価値観、医療、食事、犯罪率、宗教、法律の違いなど、楽しいことよりむしろ乗り越えねばならぬことのほうが多い場合もあります。定年退職されたご夫婦の方々により言えると思いますが、長年貯めた大金を用いて単なる憧れだけで移住し、それら上記の問題に疲れ果てて帰国、ということでは目も当てられません。十分すぎる準備と下調べの後、まぁなんとかそれなりに新生活を始められる、という風に考えるほうがいいかもしれません。私のように日本離れされる日本人の方が年々増えておりますが、一人でもよりよい生活を新天地で迎えられることを願ってやみません。

「郷に入りても郷に従えない」とき


 一般にハワイの人々は、その穏やかな気候のためか、のんびりとした気質があるように言われます。実際ハワイに住んでいる私にとっても、それはよく感じられるもので、多くのハワイの人々が気さくで、ぎすぎすせず開放的な方々が多いように思われます。

 とはいえ、時にはそれが不快に思える場合もあります。題名にあるように、今回はハワイに住む者として感じる、より生活に密着した話になるかと思います。もちろんいつものブログようにハワイにこれから来られる方にも、参考になる点もあるかと思います。

 以前、家の中で妻シャノンがコードか何かにつまづき右手首を床に強く打ってしまったことがありました。全体重を不意に右手首にかかったものですから、彼女は大きな声で泣き叫び、右手をかばうようにしてうづくまっています。すぐさま私は氷を濡らしたタオルで包みあてがいますが、彼女は涙をぽろぽろ落としながら泣き続けます。今まで見たこともないような泣き方で、これは骨折か脱臼したかも知れぬと思い、「病院に行こう!」を言いますが「NO!」の一点張り。これくらいは大丈夫と頭では認識していても痛みは尋常ではないらしく、言葉とは裏腹に本当に痛がっています。業を煮やした私は、それではとコンビニへ。その時シップや包帯等がありませんで、近くのコンビニでそれらを売っているのを思い出し、「すぐ戻るから待っててくれな!」と全速力で向かいました。

 間もなくコンビニに着きますと、シップ等が置いてありましたので、必要と思われるものを全て抱えレジへ。しかしここで問題がありました。レジ前には5,6人の人が並んでいました。こちらは妻の痛みを少しでも和らげてやりたい思いで一杯で、釣りなどいらぬから、金を置き今すぐにでも家に舞い戻りたいのですが、そうもいきません。いらいらしながら並ぶことにしました。

 すると数人先の客が、レジの店員と何やら楽しげに会話をしています。その客はすでに買い物を済ませ、袋を持ちながらもレジの店員と楽しげに会話をしています。普段ならばハワイでよくある風景として、むしろ微笑ましいくらいですが、その時は特別です。痛みに苦しむ妻が家で私の帰りを待っていると思うと、彼らの世間話は私にとって無駄以外の何物でもありません。少し前で待つ日本人の客は舌打ちをしています。私は一刻を争うような状況です。普段余程の事では怒らない私でも、堪忍袋の緒が切れた私は、英語でこう一喝しました。

 「いい加減にしろお前ら!妻が怪我して帰りを待ってるんだ!チンタラするな!」
と大声で言いますと、客はすごすごと去り、店員は半ばびっくりしたかのように「すみません」、と仕事に戻りました。そしてさっさと会計を済まし、家に走って戻り妻に処置をしたものでした。

 のんびりとマイぺースなハワイ人らしい性格は通常気分がいいものですが、場合によりそうとは限らない時もあります。また一部ですが、日本人は何も言わない、意思表示をしないので楽、いいカモだと考える人も世界にはいるようです。ですから、決してそうではないのだと私のように「かまし」を入れる場合も時には必要かもしれません。通常考えて明らかにおかしい場合はこちらから意志表示する事も必要ですね。それは英語でなくとも日本語でも構わず、とにかくおかしいと思えば言うことも必要ですね。

 日本のコンビニでは、混んでいたら「お待ちのお客様こちらへどうぞ」と促されるものですが、レジが1つでのんびり気質のハワイの場合、どんな場合でもとにかく待つのが常識の嫌いがあります。
レストランでも同じです。他の客と話し続けて注文も水も持ってこない店員も時にはいます。それはハワイに限らずどの外国でも当てはまるかもしれません。それらを「郷に入りては郷に従え」と取るか「怠惰」と取るか、その人次第でしょうが、日本生まれ日本育ち、しかも時は金なりのような仕事を長年し続けた私にとっては、郷に従えない状況にもなります。

 ある程度は我慢したとしても、おかしいと思えばどんどん意志表示することも必要ですね。もしこれからハワイや外国に旅行される方は、とりあえず「郷に入り」て、おかしいと思えば意志表示をされてもいいかと思います。よりよいご旅行をされるためにも、100%受身になる必要はないと思います。これらを踏まえて、皆さんがより楽しいハワイ旅行を満喫していただければ、と思います。

虹の州、ハワイの雨の降り方


 ハワイを一言で表現するとどんな言葉が思いつくでしょうか?


南国、楽園、リラックス、リゾート地、海が綺麗、アロハ、年中温暖、フラダンス、ハワイアン音楽、ブルーハワイ、ロコモコ、一等賞の景品、結婚式場、曙やKonishikiの出身地、アメリカ50番目の州、マリンスポーツ、サーフィン、火山島、ワイキキ、ホノルル、ダイアモンド・ヘッド、オアフ島、マウイ島、ホノルルマラソン、、等でしょうか。

 人によりハワイはいろいろな表現で表わされることができますが、ここでは、虹とハワイについて少し書いてみます。


 ハワイは虹の州と呼ぶこともできます。それくらい、虹が到る所に頻繁に現れるんですね。1週間程度のハワイ旅行ですと、1度2度はどこかで見ることができると思います。ちなみにハワイの運転免許証にも虹が印刷されていて綺麗ですし、ザ・バスというオアフ島内を走るバスの車体にも虹がデザインされています。ちょっと微笑ましい虹のデザインを、虹の州で時々目にすることがあります。

 先日ハワイでだだっ広いハイウェイを車で走っていますと、前方に大きな虹がかかっていました。「このまま走るとその虹のつけ根を通るなぁ」という状況で、500メートルほど前方に虹と道路が触れているのを見ることができました。7色の虹の中を通り抜ける感覚は不思議なものでした。


 虹がよく出るということは、雨が降りやすいことを意味しています。雨が降った後、晴れ渡った空に巨大な虹が現れるからです。そういいますとハワイは雨ばかりかと思いがちですが、決してそうではありません。降り方が違います。サッと降ってサッと止むのがハワイの雨の降り方です。


 以前アメリカ本土からの旅行者が、「ハワイは雨が降らない」と言っておられましたが、それは誤りで、「にわか雨」が時々降ります。ハワイのにわか雨はとても潔いといいましょうか、大抵すぐ止みます。部屋で仕事をしていまして、「サーッ」と雨が降り出したな、と思い、その後トイレから戻ると止んでいました。ハワイにも雨期(一般に10月~3月)がありますが、何日も止まず降り続くようなことはそうそうありません。それはまるで、日本庭園によくある、竹筒がシーソーのごとく一定量溜まった水を勢いよく放出し、元の位置にまた戻るようです。止むとさっきまでの空模様はどこへやら、すぐいつもの晴れ渡る空が戻ります。空気をすぐリフレッシュさせ、綺麗な虹をプレゼントしてくれます(時には写真のような虹を2つ同時に見ることもできます)。気持ちの良い雨の降り方ですね。


 ですからワイキキ・ビーチ等で日光浴をしているとたまに雨が降りますが、その雨は通常にわか雨でして、すぐ止みます。それを知らない多くの観光客の方は一目散にホテルに帰られますが、私たちにとっては浜辺のいい場所を取るいいタイミングでもあるんですね。ちょっと姑息な手段かもしれませんが、すぐ止んだ「にわか雨」の後、絶好の場所を陣取り、そして目前に巨大な虹を見ることができます。


 次にハワイ旅行をお考えの方は、上記を実践なさるのもいいかと思います。雨が降ってきたら、海に入り(海のほうが断然温かいこともしばしばです)止むのを待つか、タオル等で一時しのぎをして待つ、帰った海水浴客のよりよい場所へすぐ移動する、または貴重品以外を浜辺において近くの軒下で止むのを待つ、等もよりよい滞在には使える手段かもしれませんね。

 とはいえ、たまに長く降る場合もありえます。その場合は様子を見て、風邪をひかれる前に安全に戻られる決断も必要ですね。

蚊のいないハワイの生活?


 

 ハワイに今までご旅行された方で、ハワイ滞在中蚊に刺された経験がある方はおられるでしょうか?


 ハイキングや山登りをされた方にはその経験がおありかもしれませんが、通常大多数の旅行客が滞在するワイキキエリアに関して言えば、蚊はほとんどいません。おそらく蚊はいることはいるでしょうが、私がワイキキに住み始めてから、蚊に刺されたことがないのです。もちろん夏場を通してもです。


 個人的にはこの蚊のいない生活は、非常に重宝しています。思えば日本にいたときは、電気を消してさあ寝ようと、うとうとし始めたら耳元を蚊が「ウゥ~ン」と飛び、暑く不快な夜を日々過ごしたものです。疲れて寝ているのに、仕事で起こされるのではなく、蚊ごときに貴重な睡眠時間を奪われるのは本当に大変でした。消した電気を再度つけ、見つけるまで探すと決めた夜は、次の日は前日の疲れを背負ったまま仕事をせねばならないものでした。


 海岸沿いであることや湿度が低いこと等が蚊に刺されない理由かもしれません。とはいえ、ワイキキ以外の海岸沿い地区に住んでいた時は、蚊に刺されたものです。理由はともかく、ベープリキッド等何も置かず、窓もドアも全開にしてもワイキキでは蚊に刺されたことはありません。これはハワイに旅行に来られる方にとってささやかながらも大きなメリットかもしれませんね。


 もちろんいつかはその日が来るでしょうが、ひそかに蚊に刺されない連続記録を日々更新し続けていることに少し楽しみを持って過ごしている私でした。

全米ベスト・ビーチ


 「全米ベストビーチ」なるものをご存知でしょうか。毎年6月頃になると、フロリダ国際大学教授の「ドクター・ビーチ」と言われるステファン・P・リーサーマン博士(環境科学・特に海岸地域を専門)による全米ベストビーチトップ10が発表されます。


 彼によると、毎年全米の浜辺を実際に巡り歩き、独自の算定基準、水質、砂の質、衛生面、保安状況等数十もの項目を調査。そして毎年、最も優れたアメリカの浜辺が発表されます。そこで選ばれた過去のナンバーワンのビーチを下記にまとめておきました。見ると興味深いものがあります。


1991年度:カパルア・ベイ(ハワイ・マウイ島)

1992年度:バヒア・ホンダSRA(フロリダ州)

1993年度:ハプナ・ビーチ州立公園(ハワイ・ハワイ島)

1994年度:グレイトン・ビーチSRA(フロリダ州)

1995年度:セント・アンドリューズSRA(フロリダ州)

1996年度:ラニカイ・ビーチ(ハワイ・オアフ島)

1997年度:フロポエ・ベイ(ハワイ・ラナイ島)

1998年度:カイルア・ビーチパーク(ハワイ・オアフ島)

1999年度:ワイレア・ビーチ(ハワイ・マウイ島)

2000年度:マウナ・ケア・ビーチ(ハワイ・ハワイ島)

2001年度:ポイプ・ビーチ・パーク(ハワイ・カウアイ島)

2002年度:セント・ジョセフ半島州立公園(フロリダ州)

2003年度:カアナパリ・ビーチ(ハワイ・マウイ島)

2004年度:ハナウマ湾(ハワイ・オアフ島)

2005年度:フォート・デソロ・パーク・ノース・ビーチ(フロリダ州)

2006年度:フレミング・ビーチ・パーク(ハワイ・マウイ島)

2007年度:オクラコーク・ライフガード・ビーチ(ノース・カロライナ州)

 1991年度からナンバーワンのビーチを見てみますと、17年間のうちなんと11年、11回はハワイのビーチが一番になっています。またその評価基準として、一度ナンバーワンになりますと以降対象外になるため、同じビーチが何度も一位になることはありません。それでもハワイの海が毎年上位を占めている結果には驚かされる反面、ある程度予想はできます。


 上記の中で特に私が好きなビーチは、オアフ島にあるカイルア・ビーチ、ラニカイ・ビーチ、そしてマウイ島にあるカアナパリ・ビーチでしょうか。天国の海の言う意味のラニカイビーチは、絵に描いた様な、その名の通り天国にいるかのようなビーチ。自然が作り出した最高傑作のような、素晴らしい海が広がります。遠浅で、深くても約2メートル程度の海がずっと続くため、海中は色とりどりの熱帯魚やサンゴが広がります。普段浜辺では寝ない私ですが、のんびりして背中が真っ赤になるまでぼーっとしてしまったことがあります。


 マウイ島のカアナパリは、人気のラハイナのすぐ隣のエリアにあり、その透明度は今まで見た中で一番のような気がします。水族館の大きな水槽の中を泳いでいるような、熱帯魚やサンゴ達が一際綺麗に見えました。冬になると浜辺からクジラが見えるとよく言われますので、機会があればぜひ冬にも行ってみたいものです。


 ハワイに旅行に来られた方は、まずその美しい海に感動された方も多いかと思います。東京や大阪等の海を見慣れた方にとって、これが同じ海か?とためらうほど、ハワイの透明度の良い、澄んだ海に驚かれる方も多いです。初めてハワイに旅行したとき、飛行機から見えたハワイの海にわくわくしたのを思い出します。ベストビーチ・ツアーなど計画されるとユニークで楽しいでしょうね。

日本にいながら英語を「話せる」ようになる3つの方法。~その2~


 前回の続き。日本にいながら英語を読み書きだけでなく「話せる」ようになる3つの方法の3つ目です。
それは、日本で外人の恋人を見つけること、です。これはもちろん人の好みや状況により、「恋人は日本人がいい」、「すでに日本人と結婚している」などがありますが、もし恋人や配偶者が英語を第一言語として話す人であればいやでも話せるようになるものです。または日本にある海外と取引する貿易会社や英会話学校等に勤務する等も有効です。とはいえ、仕事上他人から英語を学ぶのと、恋人から英語を学ぶのとではその理解力に差があります。

 私は日本で一時期貿易会社に勤めていましたが、その理由はその会社の成長性や仕事内容はもとより、英語を話せる環境に身を置くことができる(いやでも英語力を鍛えられる)ということも大きかった気がします。しかしやはり仕事ですから、海外の取引先は私のそんな事情など知る由もありません。早口で聞き取りにくい英語で、様々な無理難題を言ってくるのが常でした。ですから、「それはどういう意味ですか?」とか「意味がわかりません」など相手に言うのは取引以前の話で、問題外な訳です。ペラペラでもない私の英語力には交渉力・表現力をつける前に聞き取れる、そしてもっと話せる段階の時間が要るなと感じたものです。

 そういう意味では、恋人が英語を話せる人であれば、非常に効率がいいです。もちろん先に互いに思いあうことが先ですが、相手の言う英語がわからなければ遠慮なくその場で聞けますし、恋人ですから丁寧に教えてくれます。それが互いの理解をより深めるためには必要ですから、恋人が最高の英語教師と言えるかもしれません。

 前回、<日本にいながら英語を「話せる」ようになる3つの方法。~その1~>の中で2つ目として、インターネットで世界中の友人とおしゃべりすることが効果的だった、と述べましたが、そこで実は私の妻、シャノンと出会いました。ほとんどの外国人が外国在住でしたが、シャノンは大阪に英語教師として来日していました。インターネットでしばらくおしゃべりし、お互い家が近いし一度会いましょうか、ということで進展し、結婚したのでした。出会いのきっかけは何となく不純な感じがするかもしれませんが、よくある知人の紹介やお見合いなどと同じく、要は単なる1つのきっかけであることは同じで、どれだけお互いが理解し必要な存在と思えるかが重要なことは今も昔も変わらないわけです。

 私の両親はもう70代後半という高齢なこともあるのか、そんな出会いなどでいい人が見つかるわけがないと、当初はかなり反対したものです。少しずつ時間をかけ、どれだけ互いが愛し合っているかを理解できたとき、両親はシャノンのことを愛娘のように可愛がり始めました。両親には感謝しています。

 話を戻しまして、恋人ないし配偶者が英語を話す人であれば、何でも気軽に聞けます。自分の知りたい英語表現や、今相手の言った分からない言葉、そして相手の国の価値観・考え方・文化や習慣、それら「全て」を24時間理解しあえることができます。

 ここまで述べてきました、英語を「話せる」ようになる3つの方法に共通することとして言えることは、「恥ずかしさ」を捨てることです。まるで幼児が何でも親に聞き続けるように、何でも好奇心を持って聞くことが「話せる」英語、つまり英語をマスターしていく必要条件かと思います。そしてつくづく思ったことですが、高校や大学で習う難しい英語はほとんど使う意味がありません。いい恰好して難しい言葉や表現を使っても、相手に通じなかったり、「そんな言葉知らないわ。誰も使わないし。」と言われるほどです。高校や大学で使った難しい語彙の教科書や単語帳の内容など、一部英語の難しい小説やインテリの人が好む程度で、相手と普通に意思疎通する場合には不要、ということを実感したものです。中学英語で全く十分です。

 そして会話のキャッチボールをし続けることも重要でしょうか。聞かれたらすぐ答えるようにすること。そのためには、頭の中で毎度毎度日本語でまず文を考え、それを英訳して、英語で言う作業をできる限りやめるよう心がけることです。とはいえ最初からそれをやるのは難しい場合が多いですが、英語の語順や時制等の文法等きちんと正しく言わねば!とかしこまって考える必要は必ずしもなく、もしコーヒーがほしいのであればI want coffee.と言おうが、Coffee, I want.でもCoffee please,全く分らなければ日本語で「コーヒーほしい」と言ってもいいわけです。できるだけ早く言うことを心がけていれば、それだけ英語に対しての頭の回転も速くなり、相手の英語をより多く聞けることにもつながります。しばらく続ければ「痛っ!」というところを「ouch!」と自然と英語を先に口に出した自分に驚くようになります。

 つまるところ何でも慣れと言いましょうか、やることに少しでも楽しさを感じれるようになれば、誰でも上達は驚くほど速いものです。好奇心を持って何でも聞き、会話のキャッチボールをしながら英語を話せば、バイリンガルになる日はかなり近いと思います。

多くの方にご参考にしていただければ幸いです。

日本にいながら英語を「話せる」ようになる3つの方法。~その1~


 そういうわけで、20歳もとうに過ぎ、「読み書き」英語でなく、本当に使える英語、話せるようになるためにはどうしたらいいか、しかも「日本にいながら」できる方法を模索し、私は3つの方法を考え付きました。

 1つ目は、「外人がいるバーに行くこと」でした。

 日本には、多くはないとはいえ英語を話す外国人は確実にいます。彼ら不特定多数と効率良く、しかもあまりお金をかけずに出会える場所として、私はバーを探しました。

 大学卒業後、私は大阪で新聞記者をしていました。そして奈良の自宅に帰る途中に、そういうバーを調べてみますと、案外あるものです。例えばハードロック・カフェ。世界中にその店舗があり、外人にもよく知られています。やはり店内は外人がいます。20歳を過ぎて一から始めるというデメリットを、飲酒可を利用するという長所に変えたとも言えますね。他にもブリティッシュ・バー、スポーツ・バーなど、各国をモチーフにしたバーには、その国出身者を中心に外人が集まります。そういう店を何件も開拓し、よく仕事帰りに訪れました。

 バーですから、お酒も飲みます。中にはダーツやビリヤード、メジャーリーグの試合を流している店もありました。そうしたものをきっかけに、「一緒に対戦してみないか?」と話し始めたこともしばしばありました。隣に座った外人には、チャンスとばかり「はじめまして。今日は一人?」など、文法度外視でまず話すことを中心にこちらからどんどん話しかけます。やはりお互いお酒が入っていることは、うちとけるのに時間がかからず効果的です。変に硬くなることなく、より気軽に、話も弾みます。もし相手が日本人ですと、いきなり話しかければ「何だこいつは?」と敬遠されることもたたあるでしょうが、外人の場合、通常むしろみんなで楽しく騒いで盛り上がろう!という感じでいますので、相手が見ず知らずでも、男女関係なく気さくに話しかけやすいですし、また話しかけられます。そういったバーの、社交場的な雰囲気が「話せる」英語を学びにきた私には好都合でした。

 しかも日本にいる外人の多くは、彼らが言うには孤独で寂しい生活を送っているということでした。「遠い異国の地で、仕事をしてもなじめない場合が多く、仕事仲間の大半である日本人はなぜかいつもよそよそしく感じられ、日本語の話せない彼らにとって、こういった外国風のバーが唯一の居心地のよいところなのだ」、そんな内容を出会ったほとんどの外人が口を揃えたように言うのは不思議な感覚とともに驚きでもありました。

 ともあれ、彼ら大半は日本で友人をもっと作りたがっているのは共通のようで、バーで生きた英語を学びに来た私にとっては格好の場所でした。少なくとも、彼らの多くは友人が欲しいことと、せっかく日本にいるのだから日本人の友人を作り、日本の文化習慣・価値観を分かち合いたいという、私が願っていたことと同じことを実は彼らの多くも願っていたのだと気付かされました。そういう状況の中では、互いにその存在が貴重になっていき、当時の私の英語の文法的ミスの1つや2つ、いや5つや6つなどお構いなしで、ジェスチャーや気持がそれらを優にカバーしていた感があります。仕事上でいやいや、よく分からない英語を話す日本人と接するのとは明らかに違う、彼らの心のよりどころとして求められる私、そして私はそういう話しやすい環境でミスを気にすることなくとにかく聞き、話すという、理想的な持ちつ持たれつの環境がありました。

 日本にいながら「話せる英語」を身につける方法の2つ目は、インターネットで外国の人々とおしゃべりすることでした。いくつかのウェブサイトでは、世界中の人々とパソコンを通じておしゃべりし、友人を作ることができます。日本では俗にいう「出会い系サイト」という不純な出会いを目的にしたものが多く存在しますが、純粋に世界中の人と楽しくおしゃべりし、様々な価値観や文化・習慣の違いなどを共有するのが目的の世界規模のウェブサイトもあります。いろいろなサイトをよく読み、確認した上で私はあるサイトを選びました。

 そこでは、自分のプロフィールを書き、サイトに公表。興味を持ったメンバーがサイト経由で私宛にスマイルという案内メールが届きます。私がその人とおしゃべりしてみたいと思えば返信し、嫌なら何もしません。こちらからスマイルを送るという、その逆もあります。そのサイトからのメール送受信ですから、私のメールアドレスはこちらから教えない限りその誰にも知られることはありません。イギリス、アメリカ、カナダ、そして英語が話せる人なら英語圏を問わず、ロシア、韓国、ドイツの人々など、自宅にいながら様々な人とおしゃべりができるのは非常に楽しいものです。

 また先程のバーのように出かけることもなく、自分の家で空いた時間にすぐおしゃべりできる点は大きな魅力です。世界中で友人を何人も持っていると、時差が12時間違う国の友人、8時間、6時間、1時間など、こちらの空いた時間に話せる相手も変化が付いて面白いです。また時には、「日本では今でも忍者がいるの?」と聞いてくる人もいます。現地で得られる日本の情報の全てが、日本の現状を正しく伝えていないこともあります。そのような中で間違った情報や固定観念を取り除きあうことも、世界を正しく理解し感じるためには必要です。そして現地の習慣や食習慣、独特のイベント等もリアルに知れ、時にメールで現地の風景を写真で送ってくれたりするのは楽しいものです。こちらも日本の習慣やニュースなどをどんどん英語で教え、写真も送り、生きた使われている英語を学べるとともに様々な文化・習慣・考え方・価値観を学べることができました。スカイプをお互いインストールしているならば、世界中どの国にかけてもタダ。何とも便利な世の中になったものです。その恩恵を十分に活用した方法です。

 次回はその3つ目についてお話します。

日本と全く逆の、外国流の英語の学び方


 約10年間、学生時代に英語を学び続けても外人と全く対等に話せないやるせなさ。それでも英語を「話せる」ようになりたかった私は、すでに20歳を超え、大学を卒業する頃になっていました。日本という単一民族国家で、留学等多大な時間とお金をかけずとも、普通に暮らしながら英語を「話せる」ようになりたい。その方法を考え続けました。

 とはいえ、日本で普通に暮らす中で、英語を話せるようになる環境がそうそうあるわけではありません。そんな時、卒業プレゼントを兼ねて、母がヨーロッパへ旅行に行かないかと提案し、欧州主要五カ国に行くことになりました。

 その旅行中、確かに各国での観光は素晴らしかったのですが、同時に驚いたのが英語を第一言語としない国々、フランス・ドイツ・イタリア等の人々がなんと英語を上手話すのか、ということでした。なぜヨーロッパの人々が、英語をより話せるのかその理由は今後書かせてもらうことにして、その理由を旅行中に添乗員の人に聞いてみました。

 すると、「教科書をほとんど使わない英語教育を小さい頃からしているからかもしれないです」とのこと。それはつまり、「読み書き」ではなく「会話」中心の英語教育をしていることに大きな理由があるようです。 これには今まで学生時代私がやってきたことを真っ向から否定する、そしてあるべき姿を感じ取れたものでした。

 さらにその数年後、バルト三国の一つ、ラトビアという国へ一人旅しましたが、そこでも同じような状況を見ることができました。ラトビアという小国では英語は公用語ではありません。ロシア語が第一言語で、それはフランス語やドイツ語よりも英語とは言語学的にもかなり離れています。しかし現地で知り合った人々に聞いてみますと、「英語を学ぶのはまず会話から。先生ととにかくおしゃべりをするのが最初。そのずっと後に、読めるようにも、書くようにもなる。自然とね。」と言ったラトビアの友人に、感心したものでした。

 日本の英語教育は、とにかく読み書きが最初かつ中心、というきらいがあります。それだとテスト作成も非常に楽ですが、一番大事な会話を抜けたまま、大学卒業まで行ってしまいかねない現状です。この矛盾は、決して私だけが感じた事ではないはずです。現在学生の諸君たちも分かっているはずでしょうが、大半の大学入試が読み書きだけの試験を未だ行っているから、読み書きという副次的なことばかりを仕方なくやっているのが現状ではないでしょうか?

 ちなみに、あと10年後に、中国が世界で一番の英語を話す国になるといいます。人口の違いがあるとはいえ、中国の勢いは素晴らしいものがあります。いつまでも読み書きばかりしか教えられない、外人ともろくに話せない日本の英語教師やその体制など捨てて、英語という外国語を教えるのですから大量に外国の経験ある英語教師を招聘し、全ての英語教師を外国人にしたり、読み書きよりも会話を重点的に教えるなど改革をすることも大事かと私はつくづく思います。少子化が叫ばれる中、我々にできることは、より世界に通用する、対等な発言能力を持つ強い子供たちを育てることかもしれません。そのためには読み書きなど二の次で、まず英会話力、そしてそれに付随する表現力・意志表示力が必要になってくるはずです。このままの日本が続けば、いずれ先進国から途上国へと落ちぶれる時が来るのではないか、そう危惧する評論家等が後を絶たないのは当然と言えます。

 話を戻して、昔は文字を読み書きできる人が少なかった時代もありました。しかし彼らは話し言葉は普通に使っていました。私が今住んでいるハワイでも、昔は文字がなく、文化習慣等の継承はもっぱら口頭のみであったと言われています。言語を覚えるにあたり必要なことは、つまるところ話せるようになること、まずそれが基本で最初にすべきことのようです。逆に、多くの日本人のように英語を読み書きできるが話せないからと、紙に書いて外人と意思疎通せねばならない状況を見て、英語を話せているとは決して言えません。

 

 帰国後、それからの私は、今までのような読む英語、書く英語をから脱却した、「話せる」英語法を模索し始めました。かといって、当時友人が通っていた英語教室には興味はありませんでした。CMでよくやっていたような英語教室では、入学金が数十万、自分の受けたい時間がなかなかとれずいつもキャンセル待ち、そして教科書を読んでいく、そんなことを聞かされていましたので、私はそれらに行くことはしませんでした。

 英検などの資格ももてはやされています。それは進学や出世の武器にはなるでしょうが、あくまで「話せる」ようになりたかった私には興味がわきませんでした。まして英検1級というレベルが、ネイティブの人の果たしてどれほどのレベルであるのか、私にはあまり期待が出来ないところがありました。ある人は、英検1級はネイティブの5~6歳レベル程度と主張するほどですし。ともあれ読み書きばかりの学生時代の延長のように感じられたそれら英語の資格は、私は受けないことにしました。

 そしてさて、どうやってこの日本で「話せる」英語を20歳超えた今頃から覚えることができるのか、考えた挙句、3つの方法を考えました。 

英語を話すということ


 英語を話すということ。日本で普通に生まれ育った多くの人が、英語を流暢に話せることはできません。日本が英語を公用語にしていないとか、島国だからとか、いろいろ原因は考えられますが、事実日本人は英語を難なく話す環境に未だないのは事実です。

 私も例にもれず、中学に入ってから英語というものを習い始めましたが、日本の学校で教える英語は読み書き中心の使われていない英語が中心でした。高校、大学と必死になり英単語や文法を覚えましたが、実際外人と話せるかというと、お世辞にも意思疎通ができるとは言えない状態でした。中学1年から大学卒業まで10年間、毎日のように勉強してきた英語は一体何だったのか、外人と初めて話した時の自分の英語力に愕然としたものでした。

 それは誰の責任かをここでとやかく言うことはしませんが、悲しいかな、日本で教えられてきた英語とは「読み書き英語」だったのは間違いありません。これからは小学校から英語教育が始まると言われていますが、ただ開始時期を早めるだけでは意味がないように思えます。むしろ将来、私が味わったような絶望感がさらに増すだけのようにも思えます。

 言いたいのは、会話力をどれだけつけられるか。読み書きのように、眼で読んで字で書くような英語を長年かけてどれだけできるようになっても、最も肝心な会話力が養われなければ全く話になりません。会話力が出来てくるに従い、必ず付随して読み書きの能力や表現力も付いてきますが、その逆の読み書きができたら話せるようにもなるなどと言うのは決して起こりえないのは私が経験したことが実証しています。

 当時の日本の英語教師のいったいどれほどの人が、英語を難なく「読み書き」だけでなく「話せる」人がいたか。それは私の学生時代を振り返るだけで簡単に推測できることができます。教師の後にならって英文を発音しましたが、その教師の話す英語は本当の英語ではなく、帰国子女や外人が話す英語とは全く別の、いわゆる和製英語、カタカナ英語だった気がします。そのような英語を聞き、ならって読めば読むほど、若い学生の頭にはこれでいいのだとある種洗脳されていったような気がします。

 こうした状況が絶対的におかしいと気づいた頃は時既に遅し。それでも英語を話してみたいという気持ちが強かった私は、およそ一から再度英語を学び始めることにしました。関西学院大学を入学し、すでに20歳を過ぎていました。

 多くの方は、学生時代、学校の必修科目として英語を「やらざるを得ない」状況だったかもしれません。私は理科や科学は苦手でしたが、英語は中でもやる気を持って勉強できたような気がします。それはおそらく、英語を話せるようになれば世界中の人々と話せるようになる、そして世界をもっと知ることができるのではないか、そうした漠然とでも先にある何かを感じれる科目であったからかもしれません。普通に島国日本で暮らす以上、周りはほぼ全員日本人である訳で、世界をもっと直接知ることはできません。違った文化・習慣を持つ人々ともっと気軽に話し、互いの相違点を知りそして互いにより人間的に大きくなる。そう考えたとき、英語が持つ限りない可能性に大きな魅力を感じたものでした。

 次回は、既に20歳を過ぎた私が、実際どうやって話せる英語を効率良く学んでいったか、その体験談を書いてみることにします。

ハワイは流星を見る最高の場所ですね。


 ハワイでは、無料で楽しめる場所やアトラクションがいくつもあります。その1つに、流れ星があります。
 8月15日頃、日本でお盆の時期に、ハワイでは流れ星が一番よく見れる時期と言われています。私もそれに合わせて見てみることにしました。
 自宅から歩いて3分ほど、ワイキキビーチへござを持って行きますと、夜のビーチはいい雰囲気です。すぐ横のカラカウア大通りは依然車や人が行き来していますが、浜辺には人もほとんどおらず、カップルが2人だけの時間を共有しているだけで、他には波が穏やかに寄せるだけ。妻と私は、ござの上に寝っ転がり、夜空に流星を見つけようと準備しました。
 夜空を見始めてからわずか2分足らずで、大きな流れ星が!しかも小さくてもしかしたら見間違いではないのか、というようなサイズでは全然なく、眼で追わねばならぬほど、それは大きな光のカッターで夜空に大きな切り込みを入れるかのような、素晴らしい流れ星でした。
 来てすぐに現れた巨大な流れ星に2人で興奮し、声を合わせて「ohhh~~」という始末。私たちがいきなり大声で興奮しだしたものですから、後方で離れて座っていた白人のカップルが、私たちに寄ってきて「どうしたんですか?」と尋ねてきました。私が「いやいや、ただ流れ星を見に来たのですが、いきなりすごい大きなのを見てびっくりしていたのですよ」というと、彼らは知らなかったらしく「私たちも探すわ、ありがとう」と探し始めました。
 日本ではなかなか流れ星を見ることはありません。私の母が若い頃は大阪や奈良などでもよく見れたものだといいますが、現在ではかなり不可能になってきています。街の到る所に24時間ライトが点灯しているからでしょうか。
 以前沖縄に8月頃旅行したとき、流星が見れるということで友人たちと浜辺に寝転がり見たことがありました。少なくとも沖縄では見れます。しかし当時私は浜辺に行ったもののかなり夜遅く、とても眠く、隣で友人たちが流れ星を見つけ「ああぁ!!」と言っていたのを覚えていますが、半分寝ぼけており見た記憶がほとんどありません。ですから今回のハワイで見た流星は喜びもひとしおでした。
 来てすぐにあらわれた後も、流星はどんどん現れます。それは言葉に言い表せないくらいの感動です。妻が言うには、「流星が現れたら何か1つお願い事をすればどう?」というので、1つお願い事を決め、待っていました。
 どこに現れても見れるよう、地面に寝そべって夜空全体をきょろきょろ見続けると、だんだん疲れてきます。そして流星が現れると、ただ「あっ!」と言ってしまうんですね。「あ~っ!」と言い終わるとすでに流れ星は消えています。しかも右手で反射的に指さしてしまいますので、願い事など全く言えません。妻も大体同じようで、現れたらただ「あ~っ!」と言っているだけです。笑ってしまうような状況で、私は両手を背中の下に入れ、反射的に流星に指をさせないようにしました。そして現れていない時から、すでにその願い事を念仏のように繰り返し心の中で言い続けました。
 そして次に現れたとき、私は「ああっ!」とまた言ってしまいました。あれほど心で言い続けた願い事はどこへやら、突然現れた流星に驚きと感動でただあっというだけ。情けないような笑えるような状況の繰り返しでしたので、その日はもう帰ることにしました。
 夏にハワイに来られるのでしたら、あなたも是非流れ星を見てみませんか?お盆のころ、できるだけ遅い時間がより現れやすいようです。私たちは深夜0時頃~1時間ほどいましたが、かなりの流星を見ることができました。

妻からの、ハワイらしい誕生日プレゼント


 9月10日は私の誕生日でした。毎年何かと心のこもったプレゼントをくれる妻なので、今年は何だろうと少し楽しみにしていました。

 すると前日の9日に、シャノンが「明日はノースショアに行こう」と、朝11時ころ出発しようと時間まで指定してきました。私の誕生日プレゼントとして何か妻は計画を練っていたのは明らかですが、「着いてからのお楽しみ」、と何をするのか教えてくれません。

 ノースショアと言えば、有名なのは世界でも最も大きな大波がくるサーフィンのメッカであること、採れたてのエビが美味しいこと、そしてその自然の美しさやのんびりした街並みなど、いくつも名所はありますが、何を計画しているのか分かりません。サーフィン、シュノーケリング、スキューバダイビング、ジェットスキー、カイトサーフィンなど、土地柄思い当たるのはマリンスポーツばかり。

 しかしいつも履いているサンダル類ではなく、靴を持って行くように、そして長袖のシャツも要るといいます。

 妻が何を計画していたのか、この時点ではわかりませんでした。皆さんは何を想像しますか?私はハイキングか乗馬でもしに行くのかと思いましたが、「近いけど違うわ」とニヤニヤするだけ。そういえば、ここ数日妻はいつもよりやけにニヤニヤしており、よほどその計画に満足していたのでしょう。わざわざ計画してくれるのは嬉しいのですが、何をするのか分からぬまま時が過ぎるのは、ややむずかゆいものでした。

 そして誕生日当日、車でノースショアへ到着。都合で私が前日寝たのは朝になってからでしたので、到着したのはやや遅く昼1時を回ったころ。なんと着いたのは、小さな空港。スカイダイビング場でした。なんとスカイダイビングとは!とびっくりし急にわくわくしてきた私の隣で、妻はなんと泣き出しました。「どうしたの!?」と聞くと、「怖い~」と、自分で計画したスカイダイビング場に着いて急に恐怖感が出てきたようです。感受性の強い妻は、感情が瞬時に高まると喜怒哀楽関係なしにこうやって泣きます。「おれだけやるから、シャノンはやらなくていいよ」となだめますが、私ひとりで飛ぶのは面白くないようで、泣きながらも「やるわ!」と、建物の中へ。

 名前を告げると、早速ビデオを見ながら用紙に必要事項を書きます。この用紙にびっくりしたのですが、10枚近くある紙には、英語で文字がぎっしり。内容は、「あなたは死ぬか、重傷を負うかもしれません。」、「あらゆる保険は効きません」と書いてあり、各ページに日本語で「危険」と大きく印刷されてあります。「誕生日に死にたくないなぁ」と思いつつ、7~8か所にサインをし、いざ準備します。

 私と飛ぶのは、日本語が上手な白人男性。どうやら日本人の方も時々観光の一つとして来るようで、説明はほとんど日本語。セスナから飛び降りるときは、前かがみで両手は胸でⅩ字に組み、いざ飛び降りたらエビぞりになり両手両足を開脚しましょう、とのこと。シャノンは腹を決めたのか、もう泣かず真剣に話を聞いています。

 全員の準備ができ、5分ほどバンに乗りセスナが待つ滑走路へ。私達以外に参加者はあと4、5人ほど。中には60代の婦人もおられ、話を聞くとハワイの観光中に、近くを通っているとスカイダイビングをしている人々を空に見つけ、衝動的に参加したのだそう。年齢に関係なく、人生を楽しんでいる雰囲気が心地よい婦人でした。

 セスナに乗ると、すぐ離陸。爆音の室内の中、見るみると高度を上げていきます。ノースショアの海岸、サトウキビ畑、美しい風景を空から眺めるのは素晴らしく、冬だと大波やクジラも見れますよ、とのこと。

スカイダイビングせずともこの風景で十分素晴らしいのですが、間もなくセスナは雲の上へ。離陸から10分ほどで高さ4000m付近に来ますと、いよいよダイビングスタートです。

 シャノンが1番最初に飛ぶことになりました。それを聞いて妻の顔はこわばり、今にも泣き出しそうです。手を握り笑顔でなだめますが、効果なし。「1分で終わるよ。すぐ地上で会おうね!」というと、1・2・3の合図で大空へダイビング。まさに急降下、シャノンがみるみる小さくなっていきます。そして2番手は私。待ったなしで、合図とともに大空へ。私の両眼はかっ開き、体は強烈な風を受けながらエビぞりに。終始「おおぉ~」と言っているためか、大きくあけた口は一瞬でカラカラに。付き添いのカメラマンが私のダイビングを至近距離で撮り続けます。初めてのスカイダイビングで、時速約200キロの中、急降下中にカメラに向かって笑顔で応えられる余裕もなく、波打つ頬のひきつった笑顔でなんとかカメラに応え、まだまだ急降下。なすがまま、眼は未だ大きく開いたまま、出発の空港が眼下に見えてきたと思った時にパラシュートが開きました。

 いきなり何百メートルも上空に舞い上がり、そこからはのんびりと遊覧です。あの海岸がパイプライン、あの岬がオアフ島の最西端、あれが出発した空港です、と後ろで言われるも、私はイエスを繰り返すばかり。前日ほとんど寝ていなく、起きてすぐ何も食べず挑戦したのが応えたのでしょうか。パラシュートで急降下が終わってから、急に気分が悪くなってきました。しかしなおも遊覧は続きます。手綱を持たされ、右や左に旋回。インストラクターの方は良かれと思って私に操縦させてくれるのですが、みるみる私の体調は悪くなっていき、頭にあるのはもう早く帰ろう、ということだけ。通常ならば急降下の後、楽しく遊覧するのでしょうが、視界にはとうとう星が見え始め、めまいがしてきました。意識がもうろうとしてきた時、着陸。何とも恥ずかしい話ですが、先に着陸している妻が出迎えてくれるも、私は意識がもうろうとし、しゃがみ込んだ態勢で着陸。目を閉じ深呼吸し、なんとか立ち上がった時はやれやれ、という気分で一杯。その一部始終もカメラマンは写真を撮り続けるのですから、情けないやら恥ずかしいやらで複雑でした。

 前々から、時間があればスカイダイビングしてみたいと言っていたのは私でした。それを私への誕生日プレゼントにしてくれた妻は泣きながらも勇敢に挑戦し、結果妻は心身ともに問題なくスカイダイビングを満喫。私はというとよろめきながらの着陸。なんとも情けない限りです。

 終了後、スカイダイビング終了証明書をもらい、参加者やインストラクターの人達とおしゃべり。私はそれもそこそこに、トイレに駆け込んだのでした。

 次はよく寝て、体調万全で臨みたいものです。ともあれ、良い誕生日をくれた妻に感謝です。

アメリカのビザ取得の話 ~その3~


 前回からの続きです。

 アメリカ大使館に二次面接で来たものの、早朝6時頃の誰も並んでいない中、正門前で待つことにしました。 「着いたら電話してね」と言っていた妻に電話しても、ぜんぜん出ません。私が電話で起こしてしまったほどの時間でした。

 時折大使館関係者であろう人が来ると、正門で守衛さんたちが慌しくなります。正門前に設置されている伸縮式の数個のポールが地面に沈み、門の前で車を止めさせます。そして守衛が先に鏡のついた棒で車の下に爆弾など危険物がないかじっくり時間をかけてチェックします。その車がたとえ職員のものでもみっちりやっていました。そしてなにやら白い紙を持ち、ドアのノブなどにその紙を当てていきます。指紋でも採っているようです。トランク、バンパーなどもチェックし、ようやく車は中に入っていきました。その一部始終を、ビザ面接で待つ私は真横で見る羽目になりました。同じ作業を10台ほど見、朝日が眩しく照り始めた頃、ようやく大使館に2人目が現れました。時間にして朝の7時過ぎでした。

 そして7時45分頃になった時、並ぶ人は私を先頭に10人ほど。日本人のほか、様々な人種の方が来られていました。その時、一人の制服を着た女性が私たちに「ビザ面接でお越しの方はこちらへどうぞ」と、正門横にある持ち物検査場へ並ばされました。パスポートを見せ、空港にあるようなセキュリティーチェックを行います。それが8時頃でした。

 面接だから見た目は大事だと、並んでいる人の中で唯一背広を来ていた私(当日に服装の指定などはありませんが)は、中に金属のものがないか再度たくさんのポケットを確認しました。しかしかれこれ一時間以上前から暇なので確認していましたから、難なくクリア。面接は先着順ということで、予定は10時30分の予約でしたが早く終わらせたい私は朝1番に並び、誰よりも早く来て、ここで引っかかり後回しになるのはアホだ、と、暇つぶしもかねて何回も金属チェックをしたものでした。そして通過後、チェックの人からもらった番号は201。なんで1番ちゃうのん?とツッコミを入れたくなりましたが、正門を通過後、10メートルほど歩いて大使館の建物へ。

 建物に入りますと、中は銀行のような窓口カウンターが10個ほどありました。中にいた女性から、必要書類に必要事項を書いて、窓口に渡してくださいと言われます。この日のために毎日何度も持ち物確認をしてきた私には、何も予期せぬような必要品などは幸いありませんでした。原則、アメリカ大使館ウェブサイトで指定している書類を持参すれば問題ありませんが、1つ注意したほうが良いのは、ビザ発給後の書類送付のため「アメリカでの」住所を書く欄があります。

 これは同ウェブサイトにも載っていなかったと思います。ビザが発給された後、諸書類をアメリカのどこへ送るべきかのため必要です。私は必要書類を全て余分に3部ずつ持参するほどの念の入れようでしたから、様々な書類や一見不必要な書類等も持ち合わせていましたので、スポンサーである妻の親の住所もすぐ書くことが出来ました。そこまで用意できていないある男性は、女性職員に詰め寄って怒っていましたが。「書類の不備があるのでまた今度」、とならぬよう、 必要書類は全てあるか、細心の注意を払いたいものです。特に私のように遠方から来ていたり日本出発が近づいている場合はなおさらです。

 書類にいくつかサインなどをして提出後、しばらく待ちました。テレビではアメリカの番組が、またドアからは迷彩服を着た軍人らしき人が行き来していました。そして一番最初に私の201番が英語でアナウンスされました。窓口へは何度か呼ばれます。毎回違う人がチェックし、提出書類に不備がないか確認する人や、妻と現在住んでいますね?、ビザ取得後6ヶ月以内にアメリカに移住しますね?、とだけ聞いてくる人と、呼ばれては待ち、を何度か繰り返しました。

 そしてようやく、大使館の人との本番面接が始まりました。最初に番号を呼ばれる前、次が本番と知らされていました。またそれからは窓口には日本人職員ではなく外人が来て座って待っていました。私はもちろん、待合室で待っていた他20人ほどの人も、「ああ、彼とうとう最初の面接だわ」という緊張感が室内に走りました。

 呼ばれた窓口に行きますと、待っていたのは優しそうな顔立ちの黒人の男性でした。アメリカの人気TV番組、「24」をご存知でしょうか?それに出てくるディビッド・パーマーなるアメリカ大統領に、担当に座る窓口の男性がうりふたつでした。前述しました前日の夜行バスのせいか、ほとんど寝られず、ややハイの私には、彼はアメリカ大統領に重なって見え、「そっくりや!」と笑いをこらえるのに必死になる始末。彼が「事実だけを述べ、嘘は言わないと誓いますか?」と片手を示し宣誓する時も、こらえるのに必死でした。私は片手を宣誓として掲げ、もう片手はお尻をつねっていました。後ろで待つ多くの申請者の視線の前で、お尻をつねるというかなり醜態をさらしてしまいました。「何をしてるんだ?」と思ったでしょうね。

 別に今思えば面白くはないのですが、寝不足なことと、笑ってはいけないという状況はかなり酷だったのは今でも覚えています。
 もちろん、面接では真剣な質問をいくつかされます。その返事次第では、ビザの発給が却下されます。こう言われたらこう言うと、妻と協力していろいろ考えたものでした。失敗は許されないのだとすぐ気を取り直した私は、その大使館員(大統領)の質問にかなり流暢に答えたと思います。もちろん全て英語です。

 「奥さんは何の職業をしていますか?」、「お二人はいつどこで出会いましたか?」、「アメリカで何をされますか?」、「ビザをとれたら、いつ頃アメリカに移住しますか?」など、それほど突っ込んだ質問ではありませんでした。もちろん全て英語ですので、質問にはすぐ英語で回答せねばなりませんが、問われた内容は想定の範囲でしたので、余裕を持って答えることが出来ました。

 その後、英語で「OK,谷さん、おめでとうございます。ビザを発給します。われわれアメリカは谷さんを快く歓迎します。」と言ってもらえました。

 私はその場でガッツポーズをしました。そして「Thank you so much,sir」と言いました。その後は、ビザが家に届いてから6ヶ月以内に日本を出国すること、そして私が最初に降り立つアメリカの空港で、入国審査官の指示に従うこと、などを言われ、二次面接は終了しました。時刻は朝の9時30分。一番乗りの私でも、正味1時間半かかりました。

 その後の私は、まるで東京から逃げるように、その行動は早かったです。大使館前で早朝世間話をした警察官達に「帰りますわ~」を手を振り、眠い私は渋谷や新宿で遊ぶ気などなく一路東京駅へ。余裕を持って帰りの新幹線夕方6時半発を予約していましたが、その後東京駅に着いたのは朝10時前。みどりの窓口で、一番早い大阪行きに変更してくださいと、朝10時過ぎの便に変更。大阪の家に到着したのが昼の2時。やれやれ、一件落着と、妻が帰るまで昼寝をしました。

 そして、1週間もたたぬうちに、大使館からビザが貼られた私のパスポートが到着。きっともっとかかるだろうなと思っていた矢先、大使館の早業にはとても嬉しかったです。そして予定通り3月31日、結婚記念日にアメリカに向けて出国したのでした。

 ポイントは、入念な持ち物チェックをすること、万一に備え関係書類は全て持っていくこと、どんな質問をされてもすぐ答えれるように、あらかじめ質疑応答を英語で考えておくこと、等が一発でパスする秘訣かもしれません。アメリカビザを希望される方全てが万事うまくいくことを願っております。

アメリカのビザ取得の話 ~その2~


 さて前回に引き続き、アメリカのビザ取得の話の2次審査についてお話しようと思います。なお前回・今回ともその内容は2006年度当時の話です。現在の手続き状況と異なる場合がありますので、あくまで体験談としてご参考下さい。

 アメリカでビザを取得するためには、一次、二次と二回手続きを踏む必要があります。どちらがより大変かは人によりますが、二次審査は東京か沖縄ににありますアメリカ大使館に出向かねばなりません。ですから、それら場所から遠い所に在住の方は移動費もかさみます。

 私の場合、当時大阪に住んでおり、東京に行くことにしました。また、特に妻の希望で、私たちの結婚記念日である3月31日に日本を出発しようと決めていましたので、この二次審査は必ずパスし、ビザを取得せねばならぬプレッシャーもありました。

 私の二次審査の面接予約は1月8日の朝10時30分、新年明けて大使館の仕事始めの日だったと思います。私の年末の休みは既に終わっていましたが、8日が最初だと言われ、さらに仕事を休み使い予約しました。

 その1か月ほど前に東京の大使館から電話があり、「二次審査をいつにしますか?」と電話で聞いてきました。今から思うと、新年一発目に予約を入れるのはやや無謀だったかもしれません。大使館の長い冬休みをはさみ、ようやく迎えた新年初日には、きっとよりたくさんの人でごった返すのではないかと心配していたからです。早く行って早く終えたかった私には、年末の休みはなんとなくそれがずっと気がかりでした。

 そして当日。地方から来る多くの方はおそらく前日に東京に泊まるか、当日新幹線で向かうかと思いますが、私は夜行バスを選びました。夜行性の私にとって、早朝の新幹線に乗るより、前日大阪から夜行バスに乗るほうが私の身体に合っているかと思ったからです。

 しかしそれが裏目に出ました。東京駅到着予定が6時半でしたが、なんと朝の4時30分に到着。途中バスは何を思ったのか飛ばしに飛ばし、快適に寝ようと3列シートのデラックスバスを予約したのですが、その暴走とも言うべきスピードからくる振動で、ほとんど眠れませんでした。後日そのバス会社には思いっきり苦情を言いましたが。

 ともあれ1月の朝の4時半は無茶苦茶寒いです。東京駅周辺にいる人といえば、深夜の工事で働く人か、ホームレスの人くらいしかいません。何をしようかうろうろした挙句、うどん屋を発見。東京風のやや濃いうどんでも、とてもおいしく感じたものでした。

 しかしいまだ朝の5時半。新幹線にしとけばよかったなと思いつつも、大使館の開門は8時ですので、まだまだ時間があります。どうしたものか寒風の吹く中考えましたが、あるサイトで、「朝6時で既にたくさんの人の行列でした!」とあったのを思い出し、もう大使館に向かうことにしました。

 大阪人の私は、大阪でもJRや私鉄の網の目のような路線網に目がくらむほどですが、東京はよりすごいですね。同じ目的地に行くにも、様々な行き方があります。ただ路線地図を見ただけで決めるのは、その乗り換えにどれだけ徒歩で移動がかかるか知らない地方の人間には、半ば賭けに近いものがありました。利用した地下鉄で、乗換えがありましたが、違う地下鉄の駅に到着するまでかなり歩かねばなりませんでした。路線標識には5分などと書いてありますが、それは電車に乗ってかかる時間。駅まで歩く移動時間は別なんですね。朝の早くから、えらく運動したようでした。

 ようやく大使館前に着いたのが朝の6時前。まだ薄暗い中、正門に到着。8時に開門なのはわかっていましたが、私の面接時間である10時30分というのは一応の予定時間ということで、その日に来た人の先着順で時間は変更される、と知っていましたので早く終わらせたい私は正門へ向かいました。

 びっくりしたのが、なんと厳重警備なこと!何人もの警察官が大使館周辺を取り囲むように配置につき、パトカー、そして装甲車まで。えらいとこにきたもんだ、と場違いにも似た気持ちで正門に着きました。

 ウェブサイトで言っていたのとは裏腹に、正門前にいたのは警察官と門番の守衛のみ。場の悪さに多少居心地が悪かったですが、その守衛さんに、「ビザの面接に来た者ですが、ここに並ぶのですか?」と聞くと「はい。そこに並んで。開くの8時って知ってるよね?」とえらく怪訝そうに東京弁で返してきます。「分かっとるわ!」と言い返したい気持ちを抑え、誰も並んでいない寒い正門前で、警察官の視線が気になる中、並ぶことにしました。

 すでに相当長く書いていますので、ここで切り、続きは次回にします。

アメリカのビザ取得の話 ~その1~


 

私が日本に住んでいました時、大阪で英語教師として働いていたアメリカ人のシャノンと結婚しました。そして2人でハワイに住もうと決心したのですが、ご存知のように移住にはビザが必要です。今回はどうやってアメリカのビザを取得したか、当時の体験談を踏まえてご紹介しようと思います。

 ビザには様々な種類があります。学生ビザや就労ビザ、そして私が取得した配偶者ビザなどなど、その人の目的や状況により取得すべきビザの種類も大きく異なります。その中でも、配偶者ビザは比較的取得しやすいと言われています。アメリカ人と結婚すれば、よほど問題がない限りすんなり取得できると言われています。

 とはいえ、今日明日ですぐ取れるようなものではありません。多くのビザ取得希望の方が苦労したように、その必要書類、取得までに要する期間、様々な場所に出向き、手続きを行わなければならないその時間的・金銭的出費・そして精神的疲労は大変大きなものといえます。ですから、ビザ取得にはかなり長い期間がかかるとあらかじめ覚悟をしておくだけでも、後々の気持ちの持ち方がかなり変わってくるものです。

 当時友人に、日本人とオーストラリア人の夫婦がいまして、彼らはオーストラリアに移住を望んでいました。配偶者ビザ希望の点では私と妻の状況と同じでした。彼らは都合で年末迄にビザを取得し、新年をオーストラリアで迎える予定でいましたが、実際のビザ手続きは予定を大きく上回り、年を越してもまだとれず、都合でオーストラリア人の妻だけ先に移住、夫は取得のため日本に残る、という悲惨な状況になってしまいました。

 私のビザ取得も、仕事の合間を縫って少しずつ行ったためか、結局取得までに7ヶ月ほどかかりました。これから取ろうとお考えの方や、興味のある方は、くれぐれも時間的余裕をもって行うことをお勧めします。

 私のビザは配偶者ビザですので、その体験談しかお話できませんが、どういう流れかをお話しようと思います。
 さてビザを取ろうと決めた私たちは、アメリカ大使館のウェブサイトを見ました。そして何がいるのか、必要書類を確認しますと出てくるその多さにびっくりしました。なんと多くの書類を用意せねばならないのか。。国内で数少ない、大使館指定の病院で行う健康診断、警察証明書、パスポート、戸籍謄本、結婚証明書、アメリカ国内で扶養者になってくれる人の各書類(妻の母に協力してもらいました)など、そして費用として何だかんだと約10万近くかかりました。

 私のとって厄介だったのは、アメリカ大使館が指定する病院まで出向いて健康診断をうける、というものでした。当時奈良に住んでいましたので、指定病院の中で最寄の神戸にいきました。行き返りで4時間はかかりましたが、住まいの都合上もっと遠い方もおられることでしょう。仕事を休まねばなりません。健康診断をパスするためにはいくつか必要な点がありますが、最も困難なのはおそらく必要なワクチンを全て摂取しているかどうか。母子手帳を見れば、あと何のワクチンが必要か分かります。私は3つほど新たに受ける必要がありました。確かおたふくかぜのワクチンと何かでした。それらは家の近くの病院でもでき、割安ということでしたので、必要なワクチン、予防接種は奈良の最寄の病院で行うことにしました。とはいえ、最寄の病院では扱っていないワクチンが必要といわれ、注射をうたれ、結局4万以上しました。健康保険がきかないのですね。

 その後、家から最寄の病院でさらに必要なワクチンを受けに行きました。今から思うと、神戸でやっておいたほうが早かったと思います。というのは、最寄の病院では私のような例はなく、ワクチンを一応打ってもらいましたが、医者が英語で診断書を書けない。ビザに必要な書類ですので、必要なワクチンを受けた旨の診断書も英語で書いてもらう必要があります。医者とは言え、英語で書いてほしいという私に明らかに困惑した表情を示したのを今でも覚えています。ワクチンと診断書だけでもかなりのお金が飛んだものでした。

 また、警察証明書もかなり面倒でした。私は奈良市にある指定の場所(鑑識課)に申請しに行きましたが、指紋検査、書類にサインし、その後調べるため2週間ほど待たねばなりませんでした。また仕事を休んで行かねばなりません。そこで担当の方と少しおしゃべりしたのですが、「兄ちゃん、アメリカのどこに住むの?」「ハワイです」「おぉ~。ええのぉ。わしも行きたいわぁ」等と世間話をしながら、ちらっとみた過去の申請用紙には、奈良のような田舎でもカナダやブラジル、ヨーロッパなどに移住する人がいるようで、様々な国希望の奈良県人がいるのだと、同類者に嬉しいようなびっくりするような気持ちでいました。

 またアメリカで扶養者として協力してもらうサポーターを見つけることも必要です。たいてい配偶者の親になるでしょうが、その方の基本的な情報はもちろん、収入まで記載してもらわねばなりません。これは、もし移住後生活困難になった際、援助してくれるアメリカ国民を決めるため必要でして、妻の母が快く引き受けてくれました。今でもとても感謝しています。どなたか現地で引き受けてくれる方を一人あらかじめ決め、その方に了承してもらう必要があります。

 大きく分けて2回、大使館にコンタクトを取らねばなりません。最初は書類審査として、上記のような指定された書類に様々な私たちの情報を書き込み(どうやって出会い、最初どこで会ったか等、写真つきで個人的な内容もまとめねばなりませんでした)、東京のアメリカ大使館に送付しました。特に問題がなければ二次審査として面接の予約ができます。

 ここで注意したいことは、一次審査を通過したからと、すぐ二次審査(最終審査)に移る前に、その時の自分の状況をいったん確認する必要があるかと思います。というのは、その二次審査をパスするということは、ビザが発給されるということでして、発給後「6ヶ月以内」に移住をせねばなりません。1日でも早く、と急いでいる方には問題ないでしょうが、辞職願を出さず仕事をまだ国内でしている、引越し手続きや移住後の綿密な予定など、今後の予定を具体的に決めずに二次審査の面接予約を申請するのはやや危険のような気がします。日本での全ての事(戸籍除籍、仕事、引越し、車の処分、友人知人との別れ、親との別れ、将来の移住先、現地の仕事の計画等など)、をきちんと済ませてから、移住したいものです。6ヶ月以内といえど、こういう時の6ヶ月は非常に過ぎるのが早いものです。綿密な計画と見通しが立ってから二次審査を申請したいものです。

 次回は東京での二次審査の体験談の模様をお話します。 

はずかしがり、ためらう接し方から起こる誤解


 

ハワイには多くの日本人の方が観光に訪れます。日本語が通じると言われるワイキキエリアでさえ、やはり英語で話さなければならない時は時折あります。レストランやお店にいますと、多くの日本人と店員の接し方に少し気づくときがあります。

 例えば、レストランで食事をしている時、大抵店員がひとつのテーブルを担当し、いろいろと親身に世話をしてくれます。今日のお勧めはこれですとか、メニューに写真がなければこれこれからできていて、こういうものですとか、食事後おいしかったですか?、満喫してもらえましたか?と「英語」で話してきます。彼らにしてみれば、気さくに、普通に仕事をしているわけですが、英語を解せないお客さん、特に日本人の方の場合は、何も言わない。ただ愛想笑いや照れ笑いをする方がとても多いようです。これはなるべく避けたいものです。

 何を言っているのか分からないからどうすることもできないという気持ちはよく分かりますが、ずっと黙っているとお互い気まずいですよね。日本でのレストランでは店員が気さくにいろいろ話しかけてくることはそうありませんから、いっそうどうすればいいのかためらってしまうかもしれません。

 知り合いに、70代の老婦人がいますが、彼女は大阪在住で英語はまったく解しません。しかし彼女がハワイで外人に話しかけられたらとる行動は、いたってシンプルなものです。「すみませんねぇ。英語分かりませんねん。」、「ちょっとお兄さん、お水ちょうだい~!」など、全部日本語で、日本にいるのと変わらず堂々としておられます。英語が分からないのですから、日本語でしか話す手段がないわけです。店員が英語でいろいろ話しかけてきても、「うんうん、で、ここにはお茶おいてはりますの?」など、店員が言っていることとは全く関係ないことを返答し、こちらから質問する始末です。

 彼女の例は多少大げさかもしれませんが、思うに彼女は店員との会話のキャッチボールができていると思います。店員が話しかけてくると、その老婦人はそのボールを一応投げ返します。その方向は店員とは違うところでしょうが、2人は、お互い話そうという構えができています。ところが受け取ったボールを返さないままですと、それで終わりなんですね。むちゃくちゃな返答、的外れな返答をするのが怖い、はずかしいと思うと、ほとんど何も話せない。何も話さないより、何かこちらで返してあげるアクションを起こすほうが私は良いと思います。

 それは何か、それは日本語で返すことで全く良いと思います。いい格好して見当違いなことを話すのが恥ずかしいと思ったり、英語が分かると思わせたいと背伸びをするなどよりは、分からないときは分からないと日本語で言ったり、ジャスチャーまじりで、見栄えは悪くとも何とかこちらの考えを伝えようと行動に出ると、キャッチボールは一応成り立ちます。

 すると相手はたいてい、ああ、分かってないんだなと理解し、それ相応のより分かりやすい対応をしてくれるものです。店員は本当は今日のおすすめをメニューを教えたかったのに、日本語でワーッと返されると、「もうええわ」とコントの終わりのようにやめるものです。ところがあいまいに微笑んだりイエス、イエスというと始末が悪くなりますね。

 日本語で構いませんから、こちらからアクションをすると大抵話が進むことが多いのが私の体験談です。思い当たる節のある方は、一度お試ししてはいかがですか?案外伝わったりして楽しいですよ。

ハワイの人々のアロハ・スピリッツは泣けてきます。


 ハワイに住み始めた当初のこと。タクシーに乗っていますと、運転手が今回はご旅行ですか?と聞いてきました。私はつい最近ハワイに住み始めたところなんですというと、彼は「Welcome home!(おかえりなさい!)」とごく自然に言ってくれました。もちろんハワイの住民ではなく、日本から妻と共に希望と不安を胸に移住してきた私たちにとって、運転手の何気ない言葉がやけに心に優しく響いたものでした。
 ハワイに住む人々は、一般的に解放的で、他人により優しく接する性格があるように感じます。それはハワイの気候や風土が住む人々に良い影響を与えているのかもしれませんが、よそよそしくなく、誰にでも気さくに話しかけてくる性格は、人のあるべき姿を再び感じさせてくれるものです。

 最初私たち夫婦がハワイで住み始めたところはエイバ・ビーチというところでした。その周りの住人は本当に私たちを優しく迎えてくれました。スーツケースだけの少ない荷物だけで一から生活を始め出し、友人知人などハワイにいない中、周りの住人達は、「食器がいるでしょう?たくさん余っているから持っていって」、「これよかったら食べて」、「服もいるでしょう、お古だけど着てちょうだい」などなど、越してきたばかりの私たちに様々な手助けをして頂いたものでした。貰った品物はもちろん嬉しいものですが、最も嬉しかったのは彼らの優しさ。血のつながってない他人でも関係なく助け合おうという気持がとてもよく伝わりました。そうなるとこちらも何か彼らにしてあげようとなるのが人情というもの。小さな子供がいる家庭ではおもりをしてあげたり、食事を作りすぎたらあげたり、日本語や日本文化を教えてあげたり。お互いを思いあい、支えあう好循環がそこに生まれます。

 そうした好循環は日本でももちろん見られるでしょうが、最近はめっきり感じることも与える相手も少なくなってきてしまいました。大阪や神戸、千葉、奈良などに住んだことがありますが、お隣さんとの付き合いは寂しいもの。挨拶程度で、お互いをなるべく関わらないように過ごすべき、というような雰囲気が感じられたものでした。

 そうしたコミュニケーション不足の状態がお互い続くと、悪印象が心にたまりやすくなるのではないでしょうか?隣の家、部屋が少しでもうるさければ、すぐいらいらしてしまう。赤ん坊が泣いていたら、うるささより苛立たしさのほうが積もってしまうなど。多くはお互いのコミュニケーション不足から来ているかもしれません。
 

 こちらから挨拶をしても、無視したりじゃま臭そうにする人も中にはいるものです。しかし少なくとも自分は自分なりの親切な接し方を続けていけば、より充実した生活が出来ると思います。ハワイでは人々の接し方がより気さくで開放的と言えますので、隣人との生活はより円滑に出来やすいと思います。

 ハワイで生活してまもなく車を買ったのですが、ハワイではディーラーを通して買う方法もありますが個人で直接売買するのも一般的です。そこで私達はある方の車を気に入り、電話で最初問い合わせてみました。すると電話口で彼は「Welcome home!ハワイに越してきたばかりなんですね、困ったことや何かあれば何でも言ってね、協力するよ」と言ってくれました。会った事もないうえ、まだ購入の契約すらしていないのに、何と好意的なのだろうと思っていると、妻はその優しさのあまり泣いていました。実際その売主は何と半値で車を売ってくれる始末。いい買い物が出来た以上に、人とのふれあい・優しさを身体いっぱい受け取ったことがより嬉しいものでした。

 例外はあるものですが、ハワイはそんなところです。

ハワイの生活を一言で言うと?


 ハワイの生活を一言で言うと。

ハワイにはたくさんの日本人の方が在住しています。彼ら一人ひとりによってその表現はもちろん違うでしょうが、私が感じるハワイの生活はというと、

「ぬるま湯に使っている感じ」
と言えます。

 実際そういわれたのはハワイで長年暮らしておられるある老婦人の方が言われた表現なのですが、私もそう感じている一人です。

 豪雪の北海道のように寒さや吹雪に悩まされることはありませんし、ハワイと気候が似ている沖縄のように、台風に悩まされることはありません(沿岸地域に限り津波はハワイでも起こりえますが)。

 ですから、気候がとてものんびりしていますので自然と心も体もリラックスしてくれます。体に優しいのですね。ワイキキを歩いていますと、観光客の中には車椅子の方、杖をついた方などを見かけます。身障者の方や体が弱っている方には、体への影響を考えますと単なる観光だけでなく、確かに身体への治癒にも役立つでしょう。

 またハワイでは身障者の方への配慮が非常に優れています。素晴らしいです。バスでは乗り口が運転手の操作によって地面ぎりぎりまで下がり、足をそう上げなくても乗れます。車椅子専用の乗り口通路が伸縮し、人の手を借りず乗れます。街中でも階段はありますが、たいていその横にスロープがありますので、優しい配慮がなされています。その比は日本よりもずっと徹底しておりますので、身障者の方もよりずっと自由に、快適に生活できているように思えます。

 話がそれましたが、私が妻と生活の場をハワイに決めたのも、その気候と人々の暖かさの面が非常に大きかったと言えます。日本のように四季がはっきりしていますと、寒い冬を耐えた後に訪れる春を謳歌することなどが楽しめます。それもメリハリがあり生活の楽しみの一つと言えるのですが、それよりも年中、いや一生穏やかな気候に囲まれて暮らすことを選びました。退職者の方を中心に、ハワイなど穏やかな気候の地域に移住する人が近年目立っているのも分かる気がします。彼らと年齢は違いますが、意図するところは同じかもしれませんね。

 うだるような暑さの中、何もしなくても汗が止まらぬということもなく、寒い冬に寒さで動悸がとても早まることもありませんし、湿気が高くないのでじめじめせず、雨は時折降る小雨程度が多く、どしゃ降りや何日も降り続くことなどありません。気持のよい風に包まれて、心も身体も癒される気候は、やはりぬるま湯にのんびりと使っているような、そんなところです。

 あなたも、思い切ってハワイに来てみませんか?都合さえつけば、永住とまでいかなくともしばらく滞在するのもきっと素晴らしいことでしょうね。寿命が延びている気にさせるような、穏やかな風に毎日包まれるのは、まさに「楽園」です。

ハワイ・アメリカで人気の車は


 日本では人気の車の一つに、エスティマやオデッセイ等のような7,8人が乗れるファミリーカーが今も人気ですね。こちらハワイでもそのような型の車を目にすることがありますが、さらに多くの人が好む車があります。

 それは、ピックアップ・トラックという、一種のトラックです。トラックといえばどうも仕事でのみ使う業務用として考えがちですが、ハワイまたアメリカ本土でもとてもよく目にします。トラックといっても日本でよく見るような白地のものではなく、様々な色や形が豊富で、主に若者の間でとても人気があります。

 私が日本にいた頃は、若者にはスポーツカーに代表されるようなマニュアルシフトでどちらかといえば流線型やオープンカー、2人乗りの車が人気であったように思われます。そういう車は、ワイキキ周辺で、旅行者によるレンタカーとしてよく目にしますが、大半はハワイ市民ではないようです。

 そのピックアップ・トラックですが、トラックというだけあり、かなり大きいです。通常2人(または4人)乗りで、後部はまさにトラックというべき広々とした荷台のスペースがあります。よくその荷台のスペースに人が何人も乗っている姿を見かけます。

 思うに、その種の車が人気な理由は、ハワイはワイキキ等一部を除き、依然果樹園やサトウキビ畑等が広く栽培されていますので、本来の農業用として利便性があるのかもしれません。

 また、サーフィンボードやボディーボードなどマリンスポーツをする人はとても多くいます。それら大きな荷物を大きな荷台にポーンと投げ入れてすぐ移動できるのは大変便利です。またパーティーなど多くの友人、知人が移動する際は、運転席のような区切りがないほうがより多くの人が乗れます。

 こちらでは買い物はまとめ買いが一般的ですので、たくさんの荷物を広い荷台にどんどん入れていくのも確かに便利です。
 雨が降ったら困るのではないかと思われるかもしれませんが、大雨というような雨はこちらではほとんど降りません。たまに降る優しい小雨の後現れる大きな虹を窓越しから眺める必要がないのがむしろいいかもしれませんね。

 小さな道が比較的多い日本ですと、ピックアップ・トラックはかなり運転しづらいでしょう。国による人気の車の違いも、こうした土地の気候や需要等に適応した結果なのでしょうね。

ハリーポッター最新作を見て


 ハリーポッターの最新作「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」を見てきました。今日は7月10日、日本ではまだ一般上映がされていないようですので、ここから先の内容はネタばれになりますのでご注意下さい。

 妻共にハリーポッター好きな夫婦ですので、最近作は初日に見ようということで、レイトショー(0:01分上映開始)に入って来ました。日本の映画館と同じように、ここハワイでも映画館の大半はハリーポッターの上映を占めており、ニュースによると深夜0時1分の上映をいい席で見ようと昼の2時から並ぶ人もいたとか。私達は夜10時半頃に映画館に到着しましたが、すでにたくさんの人がつめかけ、平日にも関わらずすでにパーティーのような雰囲気。コスプレをした人もちらほら見かけました。

 0時1分になり、館内が暗くなると観客から拍手の嵐。日本ではまずない現象でしょうが、それだけ楽しみに待った気持は私にも分かります。成長したハリーたちの活躍を私もずっと見たかったですし。

 内容の感想は、個人的にはまあまあ良かったです。前作まで、アクションのシーンは例えばドラゴンと戦う時などのようにアクション映画顔負けのシーンの連続でしたが、今回はそれほどアクションはなしといった印象。やっと現れた後半のボォルデモードとの対決のシーンでも校長のダンブルドアがおいしいところを持っていき、さながら校長対ボォルデモードでした。静と動の絶妙なバランスで観客を魅了してきた以前の作品に比べて、やや劣る感じがしました。内容がどんどん濃く、暗くなっていきますので、ある程度は仕方ないかと思いますが。

 その点、ハリーポッターの世界ならではの魔法の世界は随所で楽しませてくれました。絵画の中の人物が微笑んだり動いたり、新聞の写真が動いたり、その写真にズームしてその状況に移動したり。CGを駆使した画像の美しさは依然楽しませてくれます。

 また、ハリーがボォルデモードが復活したと狂言を言っていると懐疑的な目で見る魔法省が送った新任の教師アンブリッジ、このおばさん教師のにくたらしさは映画を通じて誰もが感じることでしょう。彼女の部屋のシーンが何度かありますが、部屋中はたくさんの皿に描かれた猫でいっぱい。部屋のシーンでは終始猫の鳴き声がこだましていました。シリアスなシーンでも猫の声が間を縫って聞こえてくるのに、観客もくすくす笑う始末。また、ハリーは今作で一つ上のチョウ・チャンとキスをしますが、どうだったとロンとハーマイオニーに聞かれ、「wet(湿ってた)」というシーンは観客全員が笑っていました。前作に比べ会話のシーン、静のシーンが多いように感じられ、会話の内容により笑わせる箇所が多かったように思われます。

 ともあれ、テンポよくストーリーが進み細部まで凝った撮影をしているなと思わせるところは前回までと同じく素晴らしい出来になっています。上映終了後観客から拍手が起こったのもうなづけます。ますます先がどうなるのか、早く見たいと思わせる仕上がりでした。

ワイキキで宿泊する際の注意点


 ハワイ旅行をする日本人観光客の方のうち、99%がワイキキエリアに宿泊すると言われています。本当に99%かどうか分かりませんが、確かにワイキキエリアを歩いていると実に簡単に日本人を見ることが出来ます。そしてワイキキから離れたところ、例えばエイバ・ビーチやカイルア、ミリラニエリアではほとんど見かけませんので、ハワイには多くの日本人が旅行に訪れますが、未だにワイキキ周辺に偏った宿泊をされているのは事実です。

 そこで、今回はそのワイキキ周辺に宿泊される際の注意点として、「騒音」について書いてみようと思います。
 私の家、旅行会社ともワイキキにあり、私達自身の経験談もこれからご旅行を予定されている方にためになるかもしれません。
 世界の様々な国や地域からハワイを旅行に選ぶ理由の一つは、温暖な気候でのんびりしたいからではないでしょうか?しかし、特に夜寝るとき、外がとても騒がしく寝づらいくらいならせっかくの旅行も楽しく過ごせません。

 ワイキキエリアではとても騒音が大きいです。まずはパトカー。世界中から毎年とても多くの人々が訪れるので、秩序を守るため警察が日々巡回してくれるのはありがたいことです。しかし、そのパトカーの数は尋常ではありません。いたるところでパトカーが走り、夜になるとその数はさらに目立ってきます。酔っ払いの人が2,3人たむろしていても車を止めて話しかけていっています。安全のためには大変心強いのですが、その数が多いためかサイレンを聞かない日はありません。夜2時、3時でも爆音でサイレンを鳴らし取り締まってくれています。

 消防車、救急車も同じで、毎日必ずといっていいほどサイレンを聞きます。そのサイレンと同時に、「どけどけ~!」とでも言ってそうなクラクションもまた爆音です。このパトカー、消防車、救急車だけでもかなりの騒音です。その数がすごいですから。

 バスはワイキキエリアをほぼ縦横無尽に走っています。朝は4時半頃にはすでに走り始め、夜1時頃まで走っています。このバス、The busはお年寄りや体の不自由な方にもかなり親切で、乗りやすいよう乗り口が下がります。車椅子の方には折りたたみ式通路がこれも自動で動きます。これらのとき、「ピピピピ。。」と大きな音が流れます。この音で私は「ああもう朝か」と毎日認識してしまっています。

 旅行中、レンタカーを借りる方も多いですが、その車はあくまでレンタル中ですので操作方法を全て分かるには多少時間がかかるかもしれません。最近では盗難防止のため、ちょっとしたことでもすぐに車からサイレン、ブザーが鳴ります。この誤動作によるであろうサイレン音も毎日必ずといっていいほど聞こえてきます。

 またワイキキエリアではトロリーバスという側面に壁がなく手すりだけの開放的なバスも多く走っています。時々、学生の修学旅行か何かと思いますが、そうした団体がそのトロリーバスに乗ったら全員で叫び始めるんですね。同じ服を着た若者が、通りを
歩いている人々や車に向かって延々と叫び続けるんですね。多分、うれしいんでしょうね。初め聞いたときは事件か何か起こったのか!?と家から飛び出したものでした。

 その他にも爆音で走る車やバイクや、特に夜中に酔っ払いが汚い言葉で大声を発していたりとありますが、もう今では全て慣れてしまいました。慣れとは怖いものですね、慣れていいものとだめな場合がありますが、この場合に限ってはいい慣れなのだと自分に言い聞かせていますが。

 ですから、せっかくはるばるハワイに旅行で皆様が来られても、これらの騒音に悩まされては欲しくないものです。コツとしては、ホテル・コンドミニアムではなるべく高い階を事前に選ぶこと、大通りからやや離れた立地のところに宿泊すること、祝日、週末はより騒音が大きくなる傾向があること(毎週火曜日は酒の割引があり、若者が深夜よく酔っ払って通りを歩いています)、そして耳栓持参、またはワイキキ以外の地区で宿泊するなど、でしょうか。

 ワイキキに限らず、世界の大都市では魅力が多い点と騒音が大きいのはやや比例しているかもしれません。次にハワイ旅行をお考えの際は、どこでどのように泊まるかも考慮に入れられるのもいいかもしれません。

 

子供を産むタイミングとは。


 ハワイに移住して、まず2人の生活が安定してから考えようとしていた。 もちろん、2人とも子供は大好きで、できるだけ早くほしいと思っている。

 だが、多くの人が考えたであろうこと、つまり経済的な面、仕事の面などを総合的に判断し、今よりもう少したってからのほうがゆとりができるのではないか、生まれてくる子供のためにより幸せで快適な生活が送れるようにと、その具体的な時期を先延ばしにしてきた。

 また、私の両親がそうであったように、結婚後、もう大丈夫と誰もが言えるほど生活基盤を十分立ててから子供を産むのも筋が通っていないわけでもない。両親の初めての子供は父が37歳、母が31歳の頃であった。

 数学のように、子供を産む時期についても唯一の答えがあるわけでもない。 子供は親を選べない。しかし親は産む時期を選択できることができる。

 親が子供に願うことの一つは、幸せになってほしいことである。

 産まれても、金がないため、仕事が忙しいため、子供に不幸な思いをさせたくないのは多くの人が思うことであろう。

 じゃあ、いつならOKだ?

 いつなら、親も産まれて来る子供も共に満足できる時期が来るのだ?

夫婦2人でいることに飽きた時か?

宝くじに当たるほどお金がある時か?

寝てても収入が入ってくるくらい仕事が順調な時か?

孤独が苦痛になった時か?

たまたま妊娠が分かった時か?

どれも私の望む「時期」には当てはまらない気がする。

 お金は多いほうがいいし、仕事もそれほど忙しくならなくなったほうがいい、2人でいることにまあまあ満足してるが、何か満ち足りない(飽きた)から子供を産もうか、など、人それぞれに持つ絡み合う事情で子供をいつ作るか悩むより、できた時が子供を産むと決心する時だ、とするのはどうも他人任せ、神に任せる、そのことからある意味逃げているような気がする。

 私たちの状況は、お金が有り余るほどあるわけでもなく、2人で手を取り合って一緒に仕事を行い、ああだこうだといつものように言いながら、よりよい経営に向けて忙しく過ごしている。またそれが2人の幸せの源泉とも言える。

 そうやって、子供は欲しいのだが明確な時期を決める決定的な何かが出てこなかったから未だに2人に子供はないのかもしれない。

 このまま必死で仕事を続ければ、生活にも余裕ができるかもしれない。人をもっと雇えば私たちだけの時間ももっと生まれるかもしれない。

 しかし、そこまでして必死に働いて子供のよりよい将来のためと築き上げた生活も、子供をより甘えさせ子供をだめにする可能性もある。
貧困や逆境という環境が子供をよりプラスに働かせる場合も大いにありうる。

 そう思うと、同い年で既に子供を4人も5人も持ちながら、生活苦でその日その日をぎりぎりで過ごす知り合いの夫婦も一概に誤った選択と言えなくなる。

 どういう環境が子供にとって最善かは、経済的やそれに付随する要因では理由付けしにくくなる。

 もちろん、一般的に考えて経済面で多少なりとも余裕があるほうが子供の成長には良いと考えがちであるが、それよりももっと大事なことはやはり夫婦の気の持ち方ではないだろうか。

 子供は親を見て育つ。

 その親が自分を愛せない、自分に偽り生きる状態であればまだ子供を持つ時期ではないであろう。
また、自分が成熟したと配偶者も認知し、生まれ来る生命に新たな人生の目標を掲げ生きれる決心が
出来ているのであれば、子供をもうける時期は来ていると信じたい。

 経済面や仕事に対する優先度がそれらより低くなることはあっても、高くなるようでは子供の将来が歪んだものになると信じたい。学生時代の部活と勉学の両立よりも難しいことではあるが、仕事(金銭面)と子供の両立が決して不可能とも言えないのも事実である。

 片方が余裕が出来た時に、もう片方に取り掛かるという手もないこともないが、その答えに行き着くのはその人が持つ優先順位によるかもしれない。仕事、金銭面、自分だけの時間、子供の成長を見届けることなど。

 何に自分の優先順位があるかで、子供を産む時期、または子供を産むことそれすら左右される可能性がある。

 極論、子供を持たなくとも人生を謳歌する事が可能な人もいるのである。

 私の場合、欲深いと言われればそれまでだが、自分の時間も持ちたい、夫婦の時間も持ちたい、
仕事もさらに充実させたい、そして子供を授かりながら人生を謳歌したい。

 それだけ責任と両立と重圧に一生立ち向かわなければならないのだが、その覚悟が出来てしまった。
また妻も、まだ子供がないが、すでに母親なのである。

 子供がないだけで、すでに母親なのである。

 他人の子供を見る笑顔、子供について話をする時の妻の顔、布団を抱いて寝る妻は、すでに母親なのである。

 そんな妻を見ていると、子供を今すぐにでも欲しいにも関わらずあえて自分から言わない妻を見ると、
妻の幸せを奪っているようにも感じてしまう。

 今が決して100%最適の時期かどうか考えていた私にとって、それは今なのだ、と感じたのは母親の優しさであった。

ハワイの朝はかなり早い!


 ハワイの朝はかなり早いです。24時間オープンのお店は例外として、お店、会社、学校その全てにおいて日本より早く始まっているようです。日本では通常、会社には8時か9時頃出社して、夕方5時か6時頃までというのが通常の勤務時間ですが、こちらでは7時または少なくとも7時半にはすでに多くの会社が営業を開始しています。学校でもすでに7時か7時半にはチャイムが鳴り1限目が始まっています。なぜなんでしょうね。人間も動物のように朝日が昇ったら起きて、動き始めるように、ハワイでもそれに近い風習でもあるのかと一時思いましたが、どうやらそんなところではないようです。

 その理由に、まずハワイの面積が考えられます。日本のように、大都市にある会社に通うため電車やバスではるばる2~3時間かけて通うほどの距離がないこと。そのためハワイでは電車がありません。交通機関はもっぱらバスか車。そうそう朝から時間をかけて遠くへは行けません。

 また、妻が言うには、時差の関係もあるといいます。彼女は昔カルフォルニアでパソコン関連の会社に勤務していましたが、彼女の始業時間はなんと朝の5時でした。なぜそんなむちゃくちゃな時間から仕事せねばならなかったのかと尋ねると、それは時差の都合で朝早くからニューヨークをはじめ他の大都市との電話応対やTV会議などの仕事があったためといいます。朝早く出社するのは遠い都市の人々との仕事がすでに待っているためなのですね。

 カリフォルニアで朝の5時ですと、ニューヨークやヨーロッパではすでに午前中、または昼です。国内に時差のない日本ではない現象ですね。そのため同じ日勤でも、妻のように朝5時~12時半までの人と6時~3時、7時~4時、8時~5時、9時~6時の人々と、実に多いシフトが存在します。面白いですね。ちなみになぜ妻の時間が5時~12時半とやや短めなのか聞きますと、通常1時間の昼休憩が30分に短縮できたこと、そしてとても朝早くから勤務してくれた一種のお礼として、同じ賃金で1時間早く帰れる事とができたそうです。早起きを気にしない人にはいい話ですね。こういった時差の影響がハワイでも起こっているかもしれません。

 しかし、学校には時差を考え他の都市と連絡する必要はないように思えます。

 やはりハワイの人々は早起きなんでしょうか?(それとも日本が単に遅く始まっているからなのでしょうか?)早起きは冬の寒いときはつらいですよね。しかしハワイは一年中夏なのでそれほどでもありません。年中早朝からサーフィンできますし。ハワイの気候を考えると早起きでも全く不思議ではありません。または放課後、仕事後のプライベートの時間をより重要視しているかもしれませんね。

 夜型の私にはやや酷ですが、朝早く仕事を開始すると必然的に終業時刻も早くなります。それだけ家族との時間や自分の時間が多くもてることになります。開始時刻が早いだけかと思われますが、朝に時間があればたいていの人は寝ますよね。あと5分、とわずかな時間も朝なら寝ていたいのが多くの人がとる手段かもしれません。何事も慣れなのでしょうが、朝早くから仕事をはじめ、昼の3時、4時にはおしまい、の仕事だと体にも精神的にも良い気がしています。

 とはいえ、それだけ朝が早いと困ることもあります。何かといいますと、間違い電話です。朝の5時、6時から間違い電話がとても鳴ります。その数は日本にいた頃の比ではありません。これは正直つらいです。電話を取れば「ハイ、ジョン!ハウアーユー?」と完全な間違い電話。そして今日も寝不足の日々を送るのでありました。

1000円のたばこ、50円のキャベツ。


 あなたはタバコを吸いますか?私は、吸います。やめたいと願っているのですが、まだその日はやってきてくれそうにはありません。アメリカなど外国ではタバコの値段が非常に高いのには驚かせられます。日本では大体300円前後で1箱が買えますが、アメリカでは大抵700円以上はします。中には1000円を越すものもあります。高いですね。特に野菜で言いますと、キャベツ1個は50円またはそれ以下で買えるというのに。。

 また日本のように全国でこのタバコならこの値段、というのではなく、こちらでは同じタバコでも店によって値段に大きな開きがあります。ですからまるで野菜を買うならこのスーパー、卵を買うならあのスーパーというふうに、タバコを買うのも店を特定してしまうきらいがあります。そこまでして吸う自分にいつも「これが最後だ」と言い聞かせてはいるのですが。。

 オーストラリアに行ったときのことですが、タバコの箱の表紙に、歯が茶色くぼろぼろになった写真や、足が黒く変形した写真が印刷されていました。それを見たときはかなり驚きました。そういった写真を見せることで、「タバコを吸うとこうなるので、なりたくなかったら今すぐやめましょう」と言っているわけです。 日本では、「あなたの健康に悪影響を及ぼすおそれがありますので、吸いすぎには注意しましょう」というような文言が書かれていますが、こちら外国ではそのような優しいものではありません。「吸うか?死ぬか?」というような脅迫に近いような態度ですから、日本では感じなかった強迫観念を持ちながら吸わなければならないわけです。

 また最近、ここハワイでは法律が改正されまして、レストランやホテルその他公共の施設から6m以内での喫煙が禁止されました。ますます愛煙家には厳しくなりましたが、タバコを吸わない方や小さなお子様にはさらに居心地がよくなったわけです。

国が力を入れてタバコをやめさそうとしていますし、ハワイはストレス・フリーの島ですし、タバコをやめる環境が整っているわけです。このタバコで私も頑張って最後にしましょう。

ハワイの窓は合理的?


 ハワイで住んでいますと、日本とは違った様々な物や風景その他を目にすることがあります。今日はその中でハワイの「窓」についてご紹介します。

 最初ハワイに住み始めた頃、私たち夫婦は今いるワイキキではなくエイバ・ビーチというところで家を借りました。ハワイでは一般的な、普通の家です。その家を初めて下見した時、すぐ私たちはその家にある、ある異変に気がつきました。窓が日本の窓と違うのですね。日本で一般的な、大きな2枚窓で、片側に開け閉めする窓ではなく、各窓の端に取っ手があり、それを上下すると10cm×60cm程度の板状の窓が開閉するんですね。ですから窓を全開にすると、板状のガラスがすべて地面に対して平行になり、風が問題なく入ってきますし、全閉にすると大きな窓一枚のようになり風が全く入ってきません。

 そのオーナーに、「この型の窓はあなたの特注ですか?」と訪ねたところハワイではこの型が一般的とのこと。日本で一般的な2枚ガラスの片側に開け閉めする窓はほとんど見ないとおしゃっていました。確かに、ハワイのこの窓ですと片側にガラスをがらがらと寄せることがないため、窓2面とも風が入ってきますので2倍涼しく感じられます。ハワイの多くのホテルではどうかといいますと、日本型の片側に開け閉めするパターンが一般的になっているようです。それはやはり旅行者に配慮してのことかもしれません。

 今ではこの「ハワイの窓」がとても気に入っています。ハワイは年中気温が高めといえど、風がいつも吹いています。この窓を全開にしておけば、風がいつもふんだんに部屋に行き渡り、扇風機がいらないくらいです。合理的な窓と言えるかもしれませんね。

はじめに


 皆さんこんにちは。ハワイが好きな日本人の方は多いと思います。そういう方々のために、実際にハワイに在住しながら、ハワイでの衣食住、文化、価値観、考え方その他もろもろについて、私が感じるままに、日本との違いなどを含め気ままに綴っていこうと思います。日本の多くの方がハワイにさらに興味を持って頂けたら、そしてハワイの現状等をお伝えしつつ、このブログで皆さんの心によりゆとりを持って頂けたら嬉しいです。どうぞよろしく。