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アメリカのビザ取得の話 ~その3~


 前回からの続きです。

 アメリカ大使館に二次面接で来たものの、早朝6時頃の誰も並んでいない中、正門前で待つことにしました。 「着いたら電話してね」と言っていた妻に電話しても、ぜんぜん出ません。私が電話で起こしてしまったほどの時間でした。

 時折大使館関係者であろう人が来ると、正門で守衛さんたちが慌しくなります。正門前に設置されている伸縮式の数個のポールが地面に沈み、門の前で車を止めさせます。そして守衛が先に鏡のついた棒で車の下に爆弾など危険物がないかじっくり時間をかけてチェックします。その車がたとえ職員のものでもみっちりやっていました。そしてなにやら白い紙を持ち、ドアのノブなどにその紙を当てていきます。指紋でも採っているようです。トランク、バンパーなどもチェックし、ようやく車は中に入っていきました。その一部始終を、ビザ面接で待つ私は真横で見る羽目になりました。同じ作業を10台ほど見、朝日が眩しく照り始めた頃、ようやく大使館に2人目が現れました。時間にして朝の7時過ぎでした。

 そして7時45分頃になった時、並ぶ人は私を先頭に10人ほど。日本人のほか、様々な人種の方が来られていました。その時、一人の制服を着た女性が私たちに「ビザ面接でお越しの方はこちらへどうぞ」と、正門横にある持ち物検査場へ並ばされました。パスポートを見せ、空港にあるようなセキュリティーチェックを行います。それが8時頃でした。

 面接だから見た目は大事だと、並んでいる人の中で唯一背広を来ていた私(当日に服装の指定などはありませんが)は、中に金属のものがないか再度たくさんのポケットを確認しました。しかしかれこれ一時間以上前から暇なので確認していましたから、難なくクリア。面接は先着順ということで、予定は10時30分の予約でしたが早く終わらせたい私は朝1番に並び、誰よりも早く来て、ここで引っかかり後回しになるのはアホだ、と、暇つぶしもかねて何回も金属チェックをしたものでした。そして通過後、チェックの人からもらった番号は201。なんで1番ちゃうのん?とツッコミを入れたくなりましたが、正門を通過後、10メートルほど歩いて大使館の建物へ。

 建物に入りますと、中は銀行のような窓口カウンターが10個ほどありました。中にいた女性から、必要書類に必要事項を書いて、窓口に渡してくださいと言われます。この日のために毎日何度も持ち物確認をしてきた私には、何も予期せぬような必要品などは幸いありませんでした。原則、アメリカ大使館ウェブサイトで指定している書類を持参すれば問題ありませんが、1つ注意したほうが良いのは、ビザ発給後の書類送付のため「アメリカでの」住所を書く欄があります。

 これは同ウェブサイトにも載っていなかったと思います。ビザが発給された後、諸書類をアメリカのどこへ送るべきかのため必要です。私は必要書類を全て余分に3部ずつ持参するほどの念の入れようでしたから、様々な書類や一見不必要な書類等も持ち合わせていましたので、スポンサーである妻の親の住所もすぐ書くことが出来ました。そこまで用意できていないある男性は、女性職員に詰め寄って怒っていましたが。「書類の不備があるのでまた今度」、とならぬよう、 必要書類は全てあるか、細心の注意を払いたいものです。特に私のように遠方から来ていたり日本出発が近づいている場合はなおさらです。

 書類にいくつかサインなどをして提出後、しばらく待ちました。テレビではアメリカの番組が、またドアからは迷彩服を着た軍人らしき人が行き来していました。そして一番最初に私の201番が英語でアナウンスされました。窓口へは何度か呼ばれます。毎回違う人がチェックし、提出書類に不備がないか確認する人や、妻と現在住んでいますね?、ビザ取得後6ヶ月以内にアメリカに移住しますね?、とだけ聞いてくる人と、呼ばれては待ち、を何度か繰り返しました。

 そしてようやく、大使館の人との本番面接が始まりました。最初に番号を呼ばれる前、次が本番と知らされていました。またそれからは窓口には日本人職員ではなく外人が来て座って待っていました。私はもちろん、待合室で待っていた他20人ほどの人も、「ああ、彼とうとう最初の面接だわ」という緊張感が室内に走りました。

 呼ばれた窓口に行きますと、待っていたのは優しそうな顔立ちの黒人の男性でした。アメリカの人気TV番組、「24」をご存知でしょうか?それに出てくるディビッド・パーマーなるアメリカ大統領に、担当に座る窓口の男性がうりふたつでした。前述しました前日の夜行バスのせいか、ほとんど寝られず、ややハイの私には、彼はアメリカ大統領に重なって見え、「そっくりや!」と笑いをこらえるのに必死になる始末。彼が「事実だけを述べ、嘘は言わないと誓いますか?」と片手を示し宣誓する時も、こらえるのに必死でした。私は片手を宣誓として掲げ、もう片手はお尻をつねっていました。後ろで待つ多くの申請者の視線の前で、お尻をつねるというかなり醜態をさらしてしまいました。「何をしてるんだ?」と思ったでしょうね。

 別に今思えば面白くはないのですが、寝不足なことと、笑ってはいけないという状況はかなり酷だったのは今でも覚えています。
 もちろん、面接では真剣な質問をいくつかされます。その返事次第では、ビザの発給が却下されます。こう言われたらこう言うと、妻と協力していろいろ考えたものでした。失敗は許されないのだとすぐ気を取り直した私は、その大使館員(大統領)の質問にかなり流暢に答えたと思います。もちろん全て英語です。

 「奥さんは何の職業をしていますか?」、「お二人はいつどこで出会いましたか?」、「アメリカで何をされますか?」、「ビザをとれたら、いつ頃アメリカに移住しますか?」など、それほど突っ込んだ質問ではありませんでした。もちろん全て英語ですので、質問にはすぐ英語で回答せねばなりませんが、問われた内容は想定の範囲でしたので、余裕を持って答えることが出来ました。

 その後、英語で「OK,谷さん、おめでとうございます。ビザを発給します。われわれアメリカは谷さんを快く歓迎します。」と言ってもらえました。

 私はその場でガッツポーズをしました。そして「Thank you so much,sir」と言いました。その後は、ビザが家に届いてから6ヶ月以内に日本を出国すること、そして私が最初に降り立つアメリカの空港で、入国審査官の指示に従うこと、などを言われ、二次面接は終了しました。時刻は朝の9時30分。一番乗りの私でも、正味1時間半かかりました。

 その後の私は、まるで東京から逃げるように、その行動は早かったです。大使館前で早朝世間話をした警察官達に「帰りますわ~」を手を振り、眠い私は渋谷や新宿で遊ぶ気などなく一路東京駅へ。余裕を持って帰りの新幹線夕方6時半発を予約していましたが、その後東京駅に着いたのは朝10時前。みどりの窓口で、一番早い大阪行きに変更してくださいと、朝10時過ぎの便に変更。大阪の家に到着したのが昼の2時。やれやれ、一件落着と、妻が帰るまで昼寝をしました。

 そして、1週間もたたぬうちに、大使館からビザが貼られた私のパスポートが到着。きっともっとかかるだろうなと思っていた矢先、大使館の早業にはとても嬉しかったです。そして予定通り3月31日、結婚記念日にアメリカに向けて出国したのでした。

 ポイントは、入念な持ち物チェックをすること、万一に備え関係書類は全て持っていくこと、どんな質問をされてもすぐ答えれるように、あらかじめ質疑応答を英語で考えておくこと、等が一発でパスする秘訣かもしれません。アメリカビザを希望される方全てが万事うまくいくことを願っております。