すると前日の9日に、シャノンが「明日はノースショアに行こう」と、朝11時ころ出発しようと時間まで指定してきました。私の誕生日プレゼントとして何か妻は計画を練っていたのは明らかですが、「着いてからのお楽しみ」、と何をするのか教えてくれません。
ノースショアと言えば、有名なのは世界でも最も大きな大波がくるサーフィンのメッカであること、採れたてのエビが美味しいこと、そしてその自然の美しさやのんびりした街並みなど、いくつも名所はありますが、何を計画しているのか分かりません。サーフィン、シュノーケリング、スキューバダイビング、ジェットスキー、カイトサーフィンなど、土地柄思い当たるのはマリンスポーツばかり。
しかしいつも履いているサンダル類ではなく、靴を持って行くように、そして長袖のシャツも要るといいます。
妻が何を計画していたのか、この時点ではわかりませんでした。皆さんは何を想像しますか?私はハイキングか乗馬でもしに行くのかと思いましたが、「近いけど違うわ」とニヤニヤするだけ。そういえば、ここ数日妻はいつもよりやけにニヤニヤしており、よほどその計画に満足していたのでしょう。わざわざ計画してくれるのは嬉しいのですが、何をするのか分からぬまま時が過ぎるのは、ややむずかゆいものでした。
そして誕生日当日、車でノースショアへ到着。都合で私が前日寝たのは朝になってからでしたので、到着したのはやや遅く昼1時を回ったころ。なんと着いたのは、小さな空港。スカイダイビング場でした。なんとスカイダイビングとは!とびっくりし急にわくわくしてきた私の隣で、妻はなんと泣き出しました。「どうしたの!?」と聞くと、「怖い~」と、自分で計画したスカイダイビング場に着いて急に恐怖感が出てきたようです。感受性の強い妻は、感情が瞬時に高まると喜怒哀楽関係なしにこうやって泣きます。「おれだけやるから、シャノンはやらなくていいよ」となだめますが、私ひとりで飛ぶのは面白くないようで、泣きながらも「やるわ!」と、建物の中へ。
名前を告げると、早速ビデオを見ながら用紙に必要事項を書きます。この用紙にびっくりしたのですが、10枚近くある紙には、英語で文字がぎっしり。内容は、「あなたは死ぬか、重傷を負うかもしれません。」、「あらゆる保険は効きません」と書いてあり、各ページに日本語で「危険」と大きく印刷されてあります。「誕生日に死にたくないなぁ」と思いつつ、7~8か所にサインをし、いざ準備します。
私と飛ぶのは、日本語が上手な白人男性。どうやら日本人の方も時々観光の一つとして来るようで、説明はほとんど日本語。セスナから飛び降りるときは、前かがみで両手は胸でⅩ字に組み、いざ飛び降りたらエビぞりになり両手両足を開脚しましょう、とのこと。シャノンは腹を決めたのか、もう泣かず真剣に話を聞いています。
全員の準備ができ、5分ほどバンに乗りセスナが待つ滑走路へ。
私達以外に参加者はあと4、5人ほど。中には60代の婦人もおられ、話を聞くとハワイの観光中に、近くを通っているとスカイダイビングをしている人々を空に見つけ、衝動的に参加したのだそう。年齢に関係なく、人生を楽しんでいる雰囲気が心地よい婦人でした。セスナに乗ると、すぐ離陸。爆音の室内の中、見るみると高度を上げていきます。ノースショアの海岸、サトウキビ畑、美しい風景を空から眺めるのは素晴らしく、冬だと大波やクジラも見れますよ、とのこと。
スカイダイビングせずともこの風景で十分素晴らしいのですが、間もなくセスナは雲の上へ。離陸から10分ほどで高さ4000m付近に来ますと、いよいよダイビングスタートです。
シャノンが1番最初に飛ぶことになりました。それを聞いて妻の顔はこわばり、今にも泣き出しそうです。手を握り笑顔でなだめますが、効果なし。「1分で終わるよ。すぐ地上で会おうね!」というと、1・2・3の合図で大空へダイビング。まさに急降下、シャノンがみるみる小さくなっていきます。そして2番手は私。待ったなしで、合図とともに大空へ。私の両眼はかっ開き、体は強烈な風を受けながらエビぞりに。終始「おおぉ~」と言っているためか、大きくあけた口は一瞬でカラカラに。付き添いのカメラマンが私のダイビングを至近距離で撮り続けます。初めてのスカイダイビングで、時速約200キロの中、急降下中にカメラに向かって笑顔で応えられる余裕もなく、波打つ頬のひきつった笑顔でなんとかカメラに応え、まだまだ急降下。なすがまま、眼は未だ大きく開いたまま、出発の空港が眼下に見えてきたと思った時にパラシュートが開きました。
いきなり何百メートルも上空に舞い上がり、そこからはのんびりと遊覧です。あの海岸がパイプライン、あの岬がオアフ島の最西端、あれが出発した空港です、と後ろで言われるも、私はイエスを繰り返すばかり。前日ほとんど寝ていなく、起きてすぐ何も食べず挑戦したのが応えたのでしょうか。パラシュートで急降下が終わってから、急に気分が悪くなってきました。しかしなおも遊覧は続きます。手綱を持たされ、右や左に旋回。インストラクターの方は良かれと思って私に操縦させてくれるのですが、みるみる私の体調は悪くなっていき、頭にあるのはもう早く帰ろう、ということだけ。通常ならば急降下の後、楽しく遊覧するのでしょうが、視界にはとうとう星が見え始め、めまいがしてきました。意識がもうろうとしてきた時、着陸。何とも恥ずかしい話ですが、先に着陸している妻が出迎えてくれるも、私は意識がもうろうとし、しゃがみ込んだ態勢で着陸。目を閉じ深呼吸し、なんとか立ち上がった時はやれやれ、という気分で一杯。その一部始終もカメラマンは写真を撮り続けるのですから、情けないやら恥ずかしいやらで複雑でした。
前々から、時間があればスカイダイビングしてみたいと言っていたのは私でした。それを私への誕生日プレゼントにしてくれた妻は泣きながらも勇敢に挑戦し、結果妻は心身ともに問題なくスカイダイビングを満喫。
私はというとよろめきながらの着陸。なんとも情けない限りです。終了後、スカイダイビング終了証明書をもらい、参加者やインストラクターの人達とおしゃべり。私はそれもそこそこに、トイレに駆け込んだのでした。
次はよく寝て、体調万全で臨みたいものです。ともあれ、良い誕生日をくれた妻に感謝です。