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英語を話すということ


 英語を話すということ。日本で普通に生まれ育った多くの人が、英語を流暢に話せることはできません。日本が英語を公用語にしていないとか、島国だからとか、いろいろ原因は考えられますが、事実日本人は英語を難なく話す環境に未だないのは事実です。

 私も例にもれず、中学に入ってから英語というものを習い始めましたが、日本の学校で教える英語は読み書き中心の使われていない英語が中心でした。高校、大学と必死になり英単語や文法を覚えましたが、実際外人と話せるかというと、お世辞にも意思疎通ができるとは言えない状態でした。中学1年から大学卒業まで10年間、毎日のように勉強してきた英語は一体何だったのか、外人と初めて話した時の自分の英語力に愕然としたものでした。

 それは誰の責任かをここでとやかく言うことはしませんが、悲しいかな、日本で教えられてきた英語とは「読み書き英語」だったのは間違いありません。これからは小学校から英語教育が始まると言われていますが、ただ開始時期を早めるだけでは意味がないように思えます。むしろ将来、私が味わったような絶望感がさらに増すだけのようにも思えます。

 言いたいのは、会話力をどれだけつけられるか。読み書きのように、眼で読んで字で書くような英語を長年かけてどれだけできるようになっても、最も肝心な会話力が養われなければ全く話になりません。会話力が出来てくるに従い、必ず付随して読み書きの能力や表現力も付いてきますが、その逆の読み書きができたら話せるようにもなるなどと言うのは決して起こりえないのは私が経験したことが実証しています。

 当時の日本の英語教師のいったいどれほどの人が、英語を難なく「読み書き」だけでなく「話せる」人がいたか。それは私の学生時代を振り返るだけで簡単に推測できることができます。教師の後にならって英文を発音しましたが、その教師の話す英語は本当の英語ではなく、帰国子女や外人が話す英語とは全く別の、いわゆる和製英語、カタカナ英語だった気がします。そのような英語を聞き、ならって読めば読むほど、若い学生の頭にはこれでいいのだとある種洗脳されていったような気がします。

 こうした状況が絶対的におかしいと気づいた頃は時既に遅し。それでも英語を話してみたいという気持ちが強かった私は、およそ一から再度英語を学び始めることにしました。関西学院大学を入学し、すでに20歳を過ぎていました。

 多くの方は、学生時代、学校の必修科目として英語を「やらざるを得ない」状況だったかもしれません。私は理科や科学は苦手でしたが、英語は中でもやる気を持って勉強できたような気がします。それはおそらく、英語を話せるようになれば世界中の人々と話せるようになる、そして世界をもっと知ることができるのではないか、そうした漠然とでも先にある何かを感じれる科目であったからかもしれません。普通に島国日本で暮らす以上、周りはほぼ全員日本人である訳で、世界をもっと直接知ることはできません。違った文化・習慣を持つ人々ともっと気軽に話し、互いの相違点を知りそして互いにより人間的に大きくなる。そう考えたとき、英語が持つ限りない可能性に大きな魅力を感じたものでした。

 次回は、既に20歳を過ぎた私が、実際どうやって話せる英語を効率良く学んでいったか、その体験談を書いてみることにします。