CLICK HERE FOR THOUSANDS OF FREE BLOGGER TEMPLATES »

子供を産むタイミングとは。


 ハワイに移住して、まず2人の生活が安定してから考えようとしていた。 もちろん、2人とも子供は大好きで、できるだけ早くほしいと思っている。

 だが、多くの人が考えたであろうこと、つまり経済的な面、仕事の面などを総合的に判断し、今よりもう少したってからのほうがゆとりができるのではないか、生まれてくる子供のためにより幸せで快適な生活が送れるようにと、その具体的な時期を先延ばしにしてきた。

 また、私の両親がそうであったように、結婚後、もう大丈夫と誰もが言えるほど生活基盤を十分立ててから子供を産むのも筋が通っていないわけでもない。両親の初めての子供は父が37歳、母が31歳の頃であった。

 数学のように、子供を産む時期についても唯一の答えがあるわけでもない。 子供は親を選べない。しかし親は産む時期を選択できることができる。

 親が子供に願うことの一つは、幸せになってほしいことである。

 産まれても、金がないため、仕事が忙しいため、子供に不幸な思いをさせたくないのは多くの人が思うことであろう。

 じゃあ、いつならOKだ?

 いつなら、親も産まれて来る子供も共に満足できる時期が来るのだ?

夫婦2人でいることに飽きた時か?

宝くじに当たるほどお金がある時か?

寝てても収入が入ってくるくらい仕事が順調な時か?

孤独が苦痛になった時か?

たまたま妊娠が分かった時か?

どれも私の望む「時期」には当てはまらない気がする。

 お金は多いほうがいいし、仕事もそれほど忙しくならなくなったほうがいい、2人でいることにまあまあ満足してるが、何か満ち足りない(飽きた)から子供を産もうか、など、人それぞれに持つ絡み合う事情で子供をいつ作るか悩むより、できた時が子供を産むと決心する時だ、とするのはどうも他人任せ、神に任せる、そのことからある意味逃げているような気がする。

 私たちの状況は、お金が有り余るほどあるわけでもなく、2人で手を取り合って一緒に仕事を行い、ああだこうだといつものように言いながら、よりよい経営に向けて忙しく過ごしている。またそれが2人の幸せの源泉とも言える。

 そうやって、子供は欲しいのだが明確な時期を決める決定的な何かが出てこなかったから未だに2人に子供はないのかもしれない。

 このまま必死で仕事を続ければ、生活にも余裕ができるかもしれない。人をもっと雇えば私たちだけの時間ももっと生まれるかもしれない。

 しかし、そこまでして必死に働いて子供のよりよい将来のためと築き上げた生活も、子供をより甘えさせ子供をだめにする可能性もある。
貧困や逆境という環境が子供をよりプラスに働かせる場合も大いにありうる。

 そう思うと、同い年で既に子供を4人も5人も持ちながら、生活苦でその日その日をぎりぎりで過ごす知り合いの夫婦も一概に誤った選択と言えなくなる。

 どういう環境が子供にとって最善かは、経済的やそれに付随する要因では理由付けしにくくなる。

 もちろん、一般的に考えて経済面で多少なりとも余裕があるほうが子供の成長には良いと考えがちであるが、それよりももっと大事なことはやはり夫婦の気の持ち方ではないだろうか。

 子供は親を見て育つ。

 その親が自分を愛せない、自分に偽り生きる状態であればまだ子供を持つ時期ではないであろう。
また、自分が成熟したと配偶者も認知し、生まれ来る生命に新たな人生の目標を掲げ生きれる決心が
出来ているのであれば、子供をもうける時期は来ていると信じたい。

 経済面や仕事に対する優先度がそれらより低くなることはあっても、高くなるようでは子供の将来が歪んだものになると信じたい。学生時代の部活と勉学の両立よりも難しいことではあるが、仕事(金銭面)と子供の両立が決して不可能とも言えないのも事実である。

 片方が余裕が出来た時に、もう片方に取り掛かるという手もないこともないが、その答えに行き着くのはその人が持つ優先順位によるかもしれない。仕事、金銭面、自分だけの時間、子供の成長を見届けることなど。

 何に自分の優先順位があるかで、子供を産む時期、または子供を産むことそれすら左右される可能性がある。

 極論、子供を持たなくとも人生を謳歌する事が可能な人もいるのである。

 私の場合、欲深いと言われればそれまでだが、自分の時間も持ちたい、夫婦の時間も持ちたい、
仕事もさらに充実させたい、そして子供を授かりながら人生を謳歌したい。

 それだけ責任と両立と重圧に一生立ち向かわなければならないのだが、その覚悟が出来てしまった。
また妻も、まだ子供がないが、すでに母親なのである。

 子供がないだけで、すでに母親なのである。

 他人の子供を見る笑顔、子供について話をする時の妻の顔、布団を抱いて寝る妻は、すでに母親なのである。

 そんな妻を見ていると、子供を今すぐにでも欲しいにも関わらずあえて自分から言わない妻を見ると、
妻の幸せを奪っているようにも感じてしまう。

 今が決して100%最適の時期かどうか考えていた私にとって、それは今なのだ、と感じたのは母親の優しさであった。